第29回世界遺産委員会ダーバン会議 |
報 告 |
ユネスコの世界遺産の数は812に |
2005年7月10日から17日まで、南アフリカ共和国(面積 122万km2 日本の約3.2倍、人口 約4,500万人 首都 プレトリア)のダーバン市の国際コンベンション・センターで、ユネスコの第29回世界遺産委員会が開催されました。ダーバン市(人口 126.4万人)は、インド洋に面する南アフリカ最大の貿易港で、アフリカのサハラ以南では初めてとなる世界遺産委員会開催地となりました。 今回の世界遺産委員会の委員国は、アルゼンチン、中国、コロンビア、エジプト、レバノン、ナイジェリア、オーマン、ポルトガル、ロシア連邦、セントルシア、南アフリカ、イギリス、チリ、ベニン、インド、日本、クウェート、リトアニア、ニュージーランド、オランダ、ノルウェーの21か国で、南アフリカが議長国で、センバ・ワカシェ氏(Mr.Themba Wakashe)が議長を務めました。 今回の世界遺産委員会では、自然遺産が14物件(うち新規8物件)、複合遺産が5物件(うち新規3物件)、文化遺産が37物件(うち新規27物件)の合計56物件(うち新規が39物件、登録範囲の拡大或は若干の変更が11物件、先回の委員会で見送り或は照会となった6物件)が審議の対象でしたが、当該締約国からの要請で5物件(自然遺産が1物件、複合遺産が1物件、文化遺産が3物件)については今回の委員会での審議を見合わせ撤回、その結果、自然遺産が13物件(うち新規7物件)、複合遺産が4物件(うち新規3物件)、文化遺産が34物件(うち新規25物件)の合計51物件(うち新規が35物件、登録範囲の拡大或は若干の変更が11物件、先回の委員会で見送り或は照会となった5物件)が審議の対象になりました。 このうち、新たに、ユネスコの世界遺産リストに登録された物件の数は、24物件で、地球上の顕著な普遍的価値をもつ地形・地質、生態系、自然景観、生物多様性などの自然遺産が7物件(うち新規5物件)、人類の英知と人間活動の所産を様々な形で語り続ける顕著な普遍的価値をもつ遺跡、建造物群、モニュメントなどの文化遺産が17物件(うち新規14物件)です。 地域別には、アフリカが2物件、アラブ諸国が2物件、アジア・太平洋が5物件、ヨーロッパ・北米が11物件、ラテンアメリカ・カリブ海地域が4物件です。 自然遺産関係については、自然保護区や国立公園などの自然保護地域、文化遺産に関しては、文化的景観、交易など(広義の)文化の道(路)、歴史都市、産業遺産などユネスコ、IUCN、ICOMOSが戦略的に重要と位置づけている分野やカテゴリーのもの、それに、一般的には余り知られていないが地球史、或は、人類史のなかで意義のある学術的な価値が高い物件が出てくるようになりました。 なかでも、注目されるのは、ベラルーシ、エストニア、フィンランド、ラトヴィア、 リトアニア、ノルウェー、モルドヴァ、ロシア連邦、スウェーデン、ウクライナの10か国34箇所にまたがる観測点群、Struve Geodetic Arc (シュトルーヴェの測地弧)です。 シュトルーヴェの観測点群は、ドイツ系ロシア人の天文学者のヴィルヘルム・シュトルーヴェ(1793~1864年 ドルパト大学天文学教授兼同天文台長)を中心に、1816年~1855年の約40年の歳月をかけて設定、地球の形や大きさを調査するのに使用されました。人類の科学・技術史上、顕著な普遍的価値を有するモニュメントです。 また、EUの拡大、統合に象徴されるように、ヨーロッパ諸国の国境を越えたボーダレスな世界遺産登録、それに、イギリスからドイツへと登録範囲を拡大したFrontiers of the Roman Empire(ローマ帝国の国境界線)、ベルギーからフランスへと登録範囲を拡大したBelfries of Belgium and France (ベルギーとフランスの鐘楼群)などは、一体的で、地球と人類の至宝である「世界遺産に国境はない」ことを表わす大変良い傾向だと思います。 わが国でも著名なものでは、ノルウェーのWest Norwegian Fjords -Geirangerfjord and Nærøyfjord (西ノルウェーのフィヨルド-ガイランゲル・フィヨルドとネーロイ・フィヨルド)、中国のHistoric Centre of Macao (澳門<マカオ>の歴史地区)が挙げられます。 ユニークな物件としては、世界最大規模の巨大な隕石孔である南アフリカのVredefort Dome(フレデフォート・ドーム)、世界有数の印刷出版関系の博物館であるベルギーのPlantin-Moretus House-Workshops-Museum Complex (プランタン・モレトゥスの住宅、作業場、博物館)などです。 また、既登録の自然遺産であったイギリスのSt Kilda (セント・キルダ)は、その文化的価値が評価され、複合遺産になりました。(従って、自然遺産の数は1つ減り、複合遺産の数が1つ増えることになりました) 今回、文化遺産や複合遺産に登録された物件のうち、その「文化的景観」が評価されたものは、ナイジエリアのOsun-Osogbo Sacred Grove (オスン・オショグボの聖なる森)、イスラエルのIncense Route - Desert Cities in the Negev (香料の道-ネゲヴの砂漠都市群)、それに、複合遺産になったイギリスSt Kilda (セント・キルダ)の3件です。 今回、初めて「世界遺産リスト」に物件が登録された国は、バーレン、モルドヴァ、ボスニア・ヘルツェゴヴィナの3か国です。ボスニア・ヘルツェゴヴィナのOld Bridge Area of the Old City of Mostar (モスタル旧市街の古橋地域)の石橋「スタリ・モスト」(古い橋)は、16世紀にオスマン・トルコの建築家が建造、世界の名橋の一つに数えられていました。しかしながら、旧ユーゴスラビアのボスニア・ヘルツェゴヴィナ内戦のさなかの1993年に破壊され、その後、ユネスコや各国の支援で2004年7月に再建されました。復元後に世界遺産に登録された数少ないケースといえます。 再建といえば、フランスのLe Havre, the city rebuilt by Auguste Perret (オーギュスト・ペレによって再建された都市ル・アーヴル)も今回、世界遺産になりました。ル・アーヴルはノルマンディ上陸作戦で破壊されたフランス近代建築の創始者オーギュスト・ペレ(1874~1954年)が再建した都市です。 廃墟になったものからの復興、破壊されたものからの再建、失われたものからの回復、これらの人間の努力は賞讃されるべきであるし、今回の新登録物件の特色として特筆すべき事の一つに挙げられます。 これで、顕著な普遍的価値を有するユネスコ世界遺産は、自然遺産が160物件、文化遺産が628物件、複合遺産が24物件、合計で、812物件(137か国)になりました。 国別の世界遺産の数では、①イタリア40、②スペイン38、③中国31、③ドイツ31、⑤フランス30、⑥イギリス26、⑥インド26、⑧メキシコ25、⑨ロシア連邦23、⑩アメリカ合衆国20、⑪ブラジル17、⑫ギリシャ16、⑫オーストラリア16、⑭スウェーデン14、⑮カナダ13、⑮ポルトガル13、⑮日本13、⑱チェコ12、⑱ポーランド12、⑳ペルー10という順で、日本は15位(昨年17位)になりました。 日本の「知床」も、予定通り、世界遺産リストに登録され、日本では13番(件)目の世界遺産の誕生となりました。日本の自然遺産では、屋久島、白神山地に次いで3番(件)目、登録範囲に海域が含まれるものとしては日本初、登録基準でその生物多様性が認められたものとしても日本初となりました。日本の地域的にも、北海道から初めて世界的に顕著な普遍的価値を有する世界遺産が誕生しました。 また、既に世界遺産リストに登録されている物件のうち、その登録範囲が拡大されたものが自然遺産で1物件、文化遺産で5物件の合計6物件あります。なかでも、Works of Antoni Gaudí (アントニ・ガウディの作品群)のうち、サクラダ・ファミリアのイエス降誕のファサードと地下聖堂、ヴィンセンス邸、バトリョ邸、コロニア・グエル教会の地下聖堂の4つの建造物群が新たに登録範囲に加えられました。 危機にさらされている世界遺産については、エクアドルのSangay National Park (サンガイ国立公園) 、マリのTimbuktu (トンブクトゥ) 、アルバニアのButrint (ブトリント) の3物件の保護管理状況が改善され、危機遺産リストから除かれました。 一方、建物の構造上の脆弱性や近年の地震の影響で危機にさらされているチリの Humberstone and Santa Laura Saltpeter Works(ハンバーストーンとサンタラウラの硝石工場) が新たに世界遺産リストに登録されると同時に危機遺産リストに登録されました。それに、2004年11月~2005年2月にかけての豪雨で甚大な被害を蒙ったヴェネズエラのCoro and its Port(コロとその港)も危機遺産リストに登録されました。 従って、危機にさらされている世界遺産リストに登録されている物件は、合計で34物件(世界遺産総数812物件のうち4.2% 昨年は4.4%で0.2%改善)になりました。 尚、世界遺産委員会は、絶滅の危機にさらされているキタシロサイが密猟によって絶滅しつつあるコンゴ民主共和国(旧ザイール)のガランバ国立公園について、現在の保護管理状況が改善されない場合には、2006年に開催される第30回世界遺産委員会で、これまでに前例がない世界遺産リストからの「削除」(除名)の審議をすることを決めました。 会議の進行は、危機にさらされている物件の保全状況の審議と世界遺産リストに登録されている物件の保全状況の審議に時間がかかり過ぎました。なかでも、セント・ルシア、ポルトガル、インドの三人の女性委員、それに、レバノン、ベニン、オランダ、イギリスの各委員国は、問題意識が明確で前向きで熱心な発言が目立ちました。 この様に、活発な議論が展開されたことから、世界遺産リストに登録されている物件の保全状況の審議のうち一部を後回しにして、世界遺産リストの各候補物件の審議に入りました。(このことは、逆に、世界遺産登録後も、世界遺産の保護、保全、監視、管理がいかに大切かを示唆するものです) 世界遺産リストの各候補物件の審議は、自然遺産、複合遺産、そして文化遺産の遺産種別の順に行なわれました。各種別共に、アフリカ、アラブ諸国、アジア・太平洋、ヨーロッパ・北アメリカ、ラテンアメリカ・カリブ諸国の地域別、アルファベット順の国別 の順番で、ニュー・ノミネーションのものから始まりました。 Shiretoko(知床)の審議は、当初予想していた日時よりも大幅に遅れ、7月14日(木)の午前中にずれ込みましたが、南アフリカのVredefort Dome (フレデフォート・ドーム)、エジプトのWadi Al-Hitan (Whale Valley) (ワディ・アル・ヒタン(ホウェール渓谷))に続いて、3番目に審議されました。(書類上は、インドネシアとマレーシアの両国にまたがるボルネオの熱帯雨林遺産に続く4番目でしたが、この物件は今回の世界遺産委員会では審議されず、2006年の世界遺産委員会で審議されることになった為、3番目となりました) 知床の世界遺産リストへの登録可否の審議は、IUCNのプレゼンテーションの開始から9分間の異例ともいえるはやさで決まりました。審議の時間は、わずか2分間でした。 7月14日(木) 午前11時22分 IUCNのデイヴィッド・シェパード部長が「知床」の評価についてプレゼン 11時29分 議長がチリ、中国、ナイジェリア、ニュージーランド、ノルウェーに 知床の世界遺産登録について意見を求める チリの見解(キーワード) Support 中国の見解 Strong Support ナイジェリアの見解 Excellentと発言 11時31分 委員国席で、賛同の拍手が沸き起こる ニュージーランド、ノルウェーの見解を求めることなく、賛成多数で、 知床を世界遺産リストに登録する(The Committee inscribes Shiretoko on the World Heritage List)ことが決まる。 これに続いて、佐藤ユネスコ全権大使、高橋北海道知事の感謝の挨拶 IUCNの2度にわたる環境省への質問と照会、それに対する環境省のIUCNへの回答の内容、或は、当初、日本政府が登録推薦書類で該当するとした登録基準のうちIUCNがその顕著な普遍的価値を認めなかった知床の自然景観<登録基準 (iii) >についての日本政府の反論などの議論も期待しましたが、双方がそれぞれの主張を受け入れる形になりました。 しかしながら、登録推薦書類の準備に際しての公衆参加や極めて優れた登録推薦書類の準備、保全管理の強化を求めたIUCNの勧告への効率的な対応などのプロセスについては高い評価がなされているとの印象を受けました。 今回の会議への日本からの参加者は、政府関係者、北海道関係者を中心に、民間からも、毎年熱心な活動を展開されている「奈良世界遺産市民ネットワーク」、「高速道路から世界遺産・平城京を守る会」の市民団体、それに、「NPO富士山を世界遺産にする国民会議」などの世界遺産登録推進運動を行なっている団体、大学教授、大学院生、世界遺産に関心のある学生など多様な立場の参加者が見られました。 また、世界遺産委員会や知床の報道を担う、通信社、新聞社、テレビ局などメディアの関係者の姿を多く見かけました。なかでも、ヨハネスブルグとナイロビの両支局から取材に来られていた共同通信社、札幌、東京、カイロの記者クラブや支局からの北海道新聞社の記者の面々とは、会期中を通じて大変親しくなりました。それに、毎日新聞社や読売新聞社の記者の皆様とも知り合いになれました。 この様に、委員会のレセプション、昼食、コーヒー・ブレイク等の際に、日頃、気軽に会えない人に会えたり、話をする機会があるのも、楽しみの一つです。今回も、これまで日本でも何度かお会いしているユネスコの文化セクター事務局長補のムニール・ブシェナキ氏、第28回世界遺産委員会蘇州会議でお会いし顔も覚えてくれていた議長のセンバ・ワカシェ氏、佐藤禎一・ユネスコ日本政府代表部大使、IUCNのデイヴィッド・シェパード部長、高橋はるみ北海道知事、環境省自然環境計画課長の黒田大三郎氏、東京文化財研究所の稲葉信子女史、妻真美と共に福岡から今回の旅を共にした長崎国際大学の細田亜津子教授、第27回世界遺産委員会パリ会議以来の中国国家文物局文物保護司巡視員兼世界遺産処処長の郭セン氏等と話をする機会に恵まれました。この様に、交流の輪は、年々、広がっていきます。 南アフリカへの訪問、世界遺産委員会でも多くのことを学びました。大局的には、アフリカのダイナミズム、一方においては、南アフリカ諸都市の治安の悪さ、後者については、その背景にある社会的な貧困問題を解決していかなければならないと思いました。 アフリカの世界遺産については、危機にさらされている世界遺産の原因や理由の解決、アフリカ2009のプログラムの目的にもなっている様に、サハラ以南のアフリカの文化遺産の保存などの課題があげられます。その問題解決の方法の一つとして、2006年にアフリカ世界遺産基金が創設されることは、大変意義あることだと思います。 7月7日から18日までの12日間の南アフリカへの道程は、途中での経由地、乗り継ぎ、立ち寄りなども含め、広島-福岡-台北-香港-ヨハネスブルグ-ダーバン-ケープタウン-ヨハネスブルグ-香港-台北-福岡-広島と、大変、ハードなスケジュールになりました。 往路で、今回、世界遺産に登録された中国のHistoric Centre of Macao (澳門の歴史地区)、南アフリカでは、世界遺産地のFossil Hominid Site of Sterkfontein(スタークフォンテンの人類化石発掘地)、そして、帰路では、今回の世界遺産委員会のセレモニーで、ユネスコの親善大使に任命された南アフリカ前大統領のネルソン・マンデラ氏ゆかりのRobben Island(ロベン島)を見学できたことは、大変、良い勉強になりました。 次回の第30回世界遺産委員会は、2006年6~7月にリトアニアの首都ヴィリニュスで開催される予定です。 2006年の第30回世界遺産委員会で審議の対象になる2005年2月1日までにユネスコ世界遺産センターへ提出された登録推薦書類の数は51件、このうち書類や書式に不備のない32件(自然遺産関係 7件、複合遺産関係 2件、文化遺産関係 23件)については、専門的な立場から評価を行うIUCNとICOMOSの諮問機関に書類が送られました。 2006年の第30回世界遺産委員会においては、新規、登録範囲の拡大(境界部分の若干の変更は除く)、以前の世界遺産委員会で見送り或は照会となった物件、国境をまたぐ連続する物件を含む45物件が審議する物件数の上限となります。また、新規登録の申請は、自然遺産を含む場合のみ1締約国から2物件の申請を認めることが決まっており、2005年2月に改訂された「世界遺産条約履行の為の作業指針」(オペーレーショナル・ガイドラインズ)も本格的に施行されていく運びです。 尚、各物件の概要等については、シンクタンクせとうち総合研究機構発行の世界遺産シリーズ、「世界遺産ガイド-特集 第29回世界遺産委員会ダーバン会議-」、「世界遺産データ・ブック-2006年版-」の中で、逐次、ご紹介してまいります。 古田陽久 |