「紀伊山地の霊場と参詣道」の八鬼山の事に関して、マスコミ等から多くの取材、質問、問い合わせが来ていますので、所見を下記致します。
「紀伊山地の霊場と参詣道」は、2004年に開催された第28回世界遺産委員会蘇州会議で、ユネスコの「世界遺産リスト」に登録されました。
紀伊山地の「高野山」、「吉野・大峯」、「熊野三山」の三つの霊場とこれらをつなぐ熊野古道などの参詣道の文化的景観が評価されたものです。
今回の八鬼山(やきやま)における地権者の抗議行為には、大変驚いています。木石へのペンキでの抗議文の書き殴り、その内容を見るにつけ、その感情や心境がわかります。
これまで、観光で訪れた人による心ない落書きやいたずらなど、そのモラルやマナーが問題になったことはありますが、登録範囲内の土地の所有者による毀損行為は、これまで余り聞いたことがありません。
世界遺産登録を急ぐ余りに、登録範囲内の地権者との合意がなされないままに、世界遺産になってしまった為、課題が解決されないままに今日に至っていることが推察されます。
「紀伊山地の霊場と参詣道」は、三重県、奈良県、和歌山県の三県にまたがる世界遺産で、登録スケジュールのこともあり、また、和歌山県、奈良県にも迷惑がかかってはいけないので、行政の焦りがあったことも垣間見られます。
このまま放置しておくと、「紀伊山地の霊場と参詣道」の世界遺産としての価値が損なわれるばかりか、尾鷲の杉やヒノキのイメージも損なわれることになり、決して良いことにはならない懸念があります。
世界遺産条約では、世界遺産登録後も、関係者は、当該遺産の保護と管理を常時のモニタリング(監視)活動の下に履行していかなければなりません。
今回の事態は、史跡の監督者や管理者である、文化庁、三重県、そして、地元の尾鷲市などの行政と当該地権者との間で、早期に問題解決がはかられることが望まれます。
このことが、いつまでも放置されたままで改善されなければ、登録遺産の価値を損ないかねない脅威(Threat)や潜在危険(Potential
Danger)の可能性の段階から明らかに確認危険(Ascertained
Danger)が認められる状況にあることになりますので、世界遺産委員会にその監視の状況を報告(Reactive Monitoring)しなければなりません。
更に深刻な状況に陥り、緊急の救済措置が必要な場合には、不名誉なことに、「危機にさらされている世界遺産リスト」に登録されることも考えられます。
2004年の第28回世界遺産委員会で、ドイツの「ケルン大聖堂」が「危機にさらされている世界遺産リスト」に登録されました。
現在、ユネスコの危機リストには、35物件が登録されていますが、ほとんどが開発途上国の世界遺産であり、先進国の世界遺産が危機リストに登録された事例はきわめて稀です。
「ケルン大聖堂」(高さ157m、奥行き144m、幅88m)は、1996年に世界遺産リストに登録されましたが、近年、ケルン大聖堂の近くを流れるライン川の河岸の幾つかの超高層ビル(摩天楼)の建設が問題になっています。
危機リストへの登録は、世界遺産登録申請時の「ケルン大聖堂」の周辺の都市景観の完全性(Integrity)が損なわれる為、ユネスコとICOMOS (国際記念物遺跡会議)が警鐘を鳴らす意味での登録ともいえます。
都市景観問題は、わが国においても各地で問題になっていますが、「ケルン大聖堂」を取り巻く都市景観問題は、都市開発と文化財保存の両立のむつかしさなどを教えてくれる生きた教材とも言えます。
ドイツ政府、ノルトライン・ヴェストファーレン州、ケルン市などの関係自治体がこの問題を今後どのように解決していくのか注目されています。
今後、一向に事態が改善されない為には、これまでに前例はありませんが、世界遺産リストから抹消されることになります。
「紀伊山地の霊場と参詣道」の八鬼山の件が、短兵急にこのようになるとは思えませんが、世界遺産登録手続きを進める段階で、関係当事者の合意が必要であることの生きた事例であることを認識しなければなりません。
よく、「世界遺産になることによるメリットとデメリットは?」という質問を受けますが、
これは、行政、地権者や所有者、業者、住民、それぞれの立場で、利害は異なります。
奈良県の吉野町で、世界遺産登録の数年前に講演を行なった時、地元で吉野杉などの林業を営む林業者の方から世界遺産になることによって林業にどの様な影響があるのかという質問を受けたことがあります。
2005年7月に世界遺産リストへの登録の可否が決まる「知床」も同様の問題を抱えています。「知床」は、オホーツク海の海域も登録範囲に含む自然遺産候補です。バッファー・ゾーンの設定と漁業への影響に関して、地元の漁業者との間で利害が錯綜しています。
確かに、林業者にしても漁業者にしても生業です。世界遺産の為にどうして自分達の生業を犠牲にしなければならないのかという思いは理解できます。
経済開発と保護保存のバランス、自然環境と人間活動との共存・共栄は、古くから議論され、永劫のテーマでもあります。
今回の「紀伊山地の霊場と参詣道」の八鬼山の事は、「世界遺産の保護と持続可能な林業の発展」のあり方を問われています。
「紀伊山地の霊場と参詣道」が世界遺産として認められた文化的景観の概念は、「自然環境と人間との共同作品」、その本来あるべき「信仰の山」や「信仰の道」の風景や景観を今一度、思い起こすべきです。
「紀伊山地の霊場と参詣道」は、総体としては世界遺産にふさわしいと思いますが、尾鷲市の八鬼山の現状が改善されないならば、登録範囲の若干の変更(Minor
modifications of boundaries)によって、熊野参詣道のうち八鬼山がある伊勢路のこの部分は、日本政府、すなわち文化庁からの申請によって、世界遺産の登録範囲からはずされることも考えられます。
また、抗議文に書かれているユネスコや文化庁の「たかり」などの表現に関しては、その事実を明らかにすると共に、関係者は、官官接待、業者からの接待や供応などの批判に対して、特に、公務員など公的な立場にある人、登録や評価に関わりのある人は、誤解を受けない様な態度や行動が必要だと思います。
「紀伊山地の霊場と参詣道」の八鬼山(標高627m)は、古くから「八鬼山越え」として熊野古道伊勢路の難所として知られていますが、世界遺産地の難所にならないことを希望し、「世界遺産の保護と持続可能な林業の発展」を望むものです。
古田 陽久
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