第42回世界遺産委員会マナーマ会議(バーレーン) 2018 The 42nd Session of the World Heritage Committee(Manama,2018) 「長崎と天草地方の潜伏キリスタン関連遺産」 世界遺産登録おめでとう 世界遺産は、19件 (自然遺産 3 複合遺産 3 文化遺産 13) の増加 合計1092件(167か国) (自然遺産 209 複合遺産 38 文化遺産 845) 危機遺産は、1増1減で、54物件 危機遺産比率(54/1092=4.95% 昨年5.03%) 2019年の43回世界遺産委員会の開催地は、 バクー(アゼルバイジャン) |
毎年開催されるユネスコの世界遺産委員会は、私たち、世界遺産の研究者にとって、新年を迎える様な新たな気持ちにさせられる。 第42回世界遺産委員会は、バーレーン王国(面積 769.8平方Km<奄美大島とほぼ同じ大きさ> 人口 142.4万人<バーレーン人が約48%>) の首都マナーマ(Manama 人口約15.7万人 日本との時差 6 時間、夏時間はない。)のリッツ・カールトン・ホテル(Ritz Carlton Hotel)の敷地内に設営されるユネスコ村(UNESCO Village ユネスコ指針「遺産と創造性」の表現者として知られる世界的な空間演出家のアマル・バシャール(Ammar Basheir)氏のデザイン)で、6月24日から7月4日(6月24日午後7時からの開会式は、マナーマ・シティのバーレーン国立劇場(Bahrain National Theatre、7月3日午後7時30分からの閉会式は、ムハーラク島にあるアラッド城塞(Arad Fort)で開催され7月4日に閉会された。 開会式が行われるバーレーン国立劇場は、「千夜一夜物語」(アラビアン・ナイト)をテーマにした、中東では最大規模(11,669㎡)の劇場で、内部はバーレーンのダウ船(dhow)の製造技術を応用した木張りになっており、音響効果が大変優れている。750席の観客席を有する大劇場と150の可動式席を配す小規模のコンサートホールを備えており、オペラ、クラシック・バレエ、演劇、オーケストラ、ジャズ等、様々なイベントに利用されている。 閉会式が行われたアラッド城塞は、ムハーラク島への船の出入りを監視する目的で16世紀に建てられた要塞。典型的なアラブ様式で、オマーンに占領されていた19世紀に改築された。 バーレーン(アラビア語で「2つの海」(海水と真水)を意味する)は、ペルシア湾のバーレーン島を主島として大小33の島(ムハッラク島など)からなる君主制の島国であり、歴史的には、古代バビロニア、アッシリア時代にはディルムーンという名の有力な貿易中継地であり、また、紀元前3世紀から15世紀にかけては真珠の産地として栄えた。18世紀にアラビア半島から移住したハリーファ家がバーレーンの基礎を作り、1932年には石油の生産を開始、その後近代化を進め、1971年8月英国から独立した。 バーレーンでの世界遺産委員会の開催は、今回が初めてであるが、2011年6月19日~29日の第35回世界遺産委員会の当初の開催予定地はバーレーンの首都マナーマであったが、2011年のバーレーン騒乱(バーレーンで2011年に発生した、より大きな政治的自由と人権の尊重を求めた大規模な反政府デモとそれに付随する事件の総称。チュニジアのジャスミン革命を起因としてアラブ諸国に波及したアラブの春のうちの一つである。死者は93人、負傷者は2,900人以上、逮捕者は2,929人に上った)による政情不安などを考慮してパリのユネスコ本部(議長は、H.E. Mrs Mai Bint Muhammad Al Khalifa 氏)に変更された経緯がある。 私は、今年もオブザーバー・ステイタスで参加した。2003年の第27回世界遺産委員会から16回目であり、パリ、蘇州、ダーバン、ヴィリニュス、クライストチャーチ、ケベック・シティ、セビリア、ブラジリア、パリ、サンクトぺテルブルク、プノンペン、ドーハ、ボン、イスタンブール、クラクフ、マナーマと世界を一周してきた感がある。 バーレーンは、1991年に世界遺産条約を締約(世界で114番目)、世界遺産の数は2件(「バーレーン要塞−古代の港湾とディルムン文明の首都−」、「真珠採り、島の経済の証し」の文化遺産が2件)である。 バーレーン要塞−古代の港湾とディルムン文明の首都− (Qal'at al-Bahrain-Ancient Harbour and Capital of Dilmun) バーレーン要塞は、首都マナーマの西5kmにある。ディルムン、アッシリア、ポルトガルなど人間の度重なる占有によって積み重ねられた人工的な土塁の典型的な証しである。バーレーン要塞は、300×600mの広さの遺跡を含む地層で、紀元前2300年から紀元後16世紀までの人間が住み続けたことを証明するものである。バーレーン要塞の約4分の1は、異なったタイプの居住、公共、宗教、軍事的な構造物で、1950年代初期に発掘された。それらは、バーレーン要塞が、何世紀にもわたって香辛料や絹の貿易港であったことを証明している。12mもの高さがある土塁の頂上には、14世紀に建造された印象的なポルトガルの要塞があり、要塞を意味するカラートの名前を全体の遺跡の名前にした。バーレーン要塞は、紀元前3000年ごろにアラビア半島東部、すなわち、この地域に栄えた最も重要な古代文明の一つであるディルムン文明の首都であった。それは、シュメールの楔形文字粘土板にその記述が多数残されているこの文明の最も豊かな遺跡を含むものである。この遺跡は、1955年にデンマークの探検隊によって発掘され、現在も作業が続けられる。 文化遺産(登録基準(ii)(iii)(iv)) 2005年 真珠採り、島の経済の証し (Pearling, Testimony of an Island Economy) 真珠採り、島の経済の証しは、バーレーンの北部、ムハーラク市にあり、真珠で富を得た豪商の住居、店舗群、倉庫群、モスクなどの17の建造物群、アラビア湾の沖合い20kmにあるハイル・ブイ・タマなど3つの真珠貝の棚、ムハーラク島の南端にある木造小型帆船の管理などを行った海岸とブー・マヘル要塞の構成資産からなる。アラビア湾の沿岸は、石油が発見されるまでの何百年もの間、世界有数の天然真珠の産地だった。当時、天然真珠は貴重品として高値で取引され、湾岸経済を支配していたが、漁民たちは、木造小型帆船に乗って素潜りで真珠貝を採る、きつく危険な作業を日の出から日没まで何日も繰り返していた。アラビア湾で採れる天然真珠はとても美しく世界中から賞賛を集めていたが、世界恐慌、日本の御木本幸吉による真珠の養殖法の発見によって、2世紀から1930年代まで繁栄した伝統的な真珠産業は急速に衰退した。島社会の経済と文化の独自性を形成した海洋資源と人間との交流を伝統的に活用した顕著な事例である。 文化遺産(登録基準(iii)) 2012年 世界無形文化遺産については、2014年3月7日に無形文化遺産保護条約を締約(世界で159番目)しているが、登録遺産は、まだない。 世界の記憶についても、登録遺産は、まだない。 今年2018年の世界遺産委員会の委員国は、193の締約国から選ばれた、 アンゴラ、オーストラリア、アゼルバイジャン、バーレーン、ボスニア・ヘルツェゴヴィナ、 ブラジル、ブルキナ・ファソ、中国、キューバ、グアテマラ、ハンガリー、インドネシア、クウェート、キルギス、ノルウェー、セントキッツ・ネイ ヴィ―ス、スペイン、チュニジア、ウガンダ、タンザニア、ジンバブエ の21か国であった。 幹事国のビューロー・メンバーは、7か国、議長国がバーレ―ン(議長:シャイハ・ハヤ・ラシード・アル・ハリーファ氏(Sheikha Haya Rashed Al Khalifa 国際法律家)、副議長国は、アゼルバイジャン、ブラジル、中国、スペイン、ジンバブエ の5か国、ラポルチュール(報告担当国)は、ハンガリー(報告担当者:アンナ・E・ツァイヒナ―氏(Anna E. Zeichner) )が務めた。 世界遺産の保護管理状況の報告では、日本の「明治日本の産業革命遺産」は、2015年の第39回世界遺産委員会ドーハ会議で世界遺産に登録されたが、その決議事項で示された、各サイトの歴史全体について理解できるようにするインタープリテーション(展示)戦略など8つの課題や留意事項についての進捗状況については書面報告に留まった。 なかでも、日本政府として『日本は、1940年代にいくつかのサイトにおいて、その意思に反して連れて来られ、厳しい環境の下で働かせれた多くの朝鮮半島出身者等がいたこと、また、第二次世界大戦中に日本政府としても徴用政策を実施していたことについて理解できるような措置を講じる所存である。日本はインフォメーションセンターの設置など、犠牲者を記憶にとどめるために適切な措置を説明戦略に盛り込む所存である。』 と発言していただけにその履行の状況について関係者の間では関心がもたれていた。 世界遺産リストへの新登録関係は、日本からは「長崎と天草地方の潜伏キリスタン関連遺産」(長崎県、熊本県)が候補であった。この5月初旬のイコモスの評価は「登録」勧告であったこともあり、難なく登録決議された。 今回も、会議の合間をみて、バーレーン国立博物館、バーレーン要塞など有形・無形のバーレン遺産を見学した。 第42回世界遺産委員会マナーマ会議で、新たに「世界遺産リスト」に登録された物件の概要等については、シンクタンクせとうち総合研究機構発行の世界遺産シリーズ、「世界遺産データ・ブック 2019年版」、「世界遺産事典-1092全物件プロフィール-2019改訂版」、「世界遺産ガイド-日本編 2019改訂版」、それに、テーマ別の「世界遺産ガイド」等の中で、今後、逐次ご紹介していく。 また、第42回世界遺産委員会マナーマ会議での審議を通じて感じたこと、それに、今後の日本の世界遺産登録の見通し、今後の世界遺産の課題や展望については、 「世界遺産講座」や講演、シンポジウム、それに、各種メディアでの論述、論稿などでコメントしていく。 古田陽久 |
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<注> 専門機関の勧告区分 I=記載(登録)勧告 R=情報照会勧告 D=記載(登録)延期勧告 N=不記載(不登録)勧告 OK=承認勧告(登録範囲の拡大など) NA=不承認勧告(登録範囲の拡大) 世界遺産委員会の決議区分 I=記載(登録)決議 R=情報照会決議 D=記載(登録)延期決議 N=不記載(不登録)決議 OK=承認決議(登録範囲の拡大など) NA=不承認決議(登録範囲の拡大) |
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