各 位
2009年も大変,慌しい年になりました。当シンクタンク、そして、世界遺産総合研究所にとって、この一年の活動を回顧してみると、大変、意義深い年であったように思います。
一つは、2003年のユネスコ本部(パリ)での第27回世界遺産委員会、2004年の中国・蘇州市での第28回世界遺産委員会、2005年の南アフリカ・ダーバン市での第29回世界遺産委員会、2006年のリトアニアのヴィリニュス市での第30回世界遺産委員会、2007年のニュージーランドのクライストチャーチでの第31回世界遺産委員会、カナダのケベック・シティでの第32回世界遺産委員会に続いて、スペインのセビリアでの第33回世界遺産委員会にオブザーバーとして出席できたことです。
また、今年は、アラブ首長国連邦のアブダビで開催された第4回無形文化遺産委員会にオーディエンスの一人として参加しました。世界遺産条約と無形文化遺産条約の違いがよく理解できました。
両会議共に、会議の合間に各国の関係者と知り合いになれたのも大きな収穫でした。これまでの世界遺産委員会で会った人、それに、他の国際会議でお会いした人、ユネスコ本部、IUCN、ICOMOSを訪問した時に会った人、メールでコミュニケーションのあった人、日本の文化庁や環境省など担当者、それに、マスコミ関係の人など多彩でした。
二つは,生涯学習センター、公民館など公共施設、新聞社系の文化センターや懇話会、大学、国際機関、シンクタンク、行政、商工会議所、青年会議所(JC)主催の「世界遺産講座」、勉強会、研究会等への出講です。2007年は、「海外の世界遺産」と「日本の世界遺産」に力点を置き、単発の1回ものから、自然遺産と文化遺産の両方を網羅する5回シリーズ、8回シリーズとプログラムの内容を多角化しました。
2007年には、当方が「世界遺産講座」を開設後、通算100プログラムを達成、参加人数は、プログラム毎に多少はありますが、通算5000人〜10000人にもなるでしょうか。何事も一つ一つの積み重ねですから、私は、決して手抜きはしません。2009年もこうした努力を積み重ねました。自らの経験を通じて、社会教育分野、学校教育分野、職業教育分野を通じた「世界遺産教育」のあるべき姿を確立していきたいと考えています。
●2009年1月 専門図書館協議会関東地区協議会事務局主催
平成21年新春講演会 「世界遺産の今とこれから」
●2009年2月 岩手県一戸町教育委員会主催 世界遺産暫定リスト登載記念講演会
「世界遺産と地域づくり」
●2009年2月〜3月 調布市西部公民館主催 国際理解講座
「世界遺産から見える国々−世界遺産を通じて、その国の歴史、文化、自然を知る−」
●2009年5月〜6月八王子市教育委員会生涯学習センター川口分館主催 世界遺産講座
「日本の世界遺産の今とこれから」
●2009年5月〜6月調布市西部公民館主催 世界遺産講座 「日本の世界遺産」
また、2月の岩手県一戸町教育委員会主催の講演会を機に、「北海道・北東北を中心とした縄文遺跡群」の構成資産の一つである御所野遺跡の御所野縄文博物館の客員研究員にしていただいたことです。夏の現地調査などの成果を踏まえ「北海道・北東北を中心とした縄文遺跡群と御所野縄文遺跡−世界遺産登録の実現に向けた一戸町のまちづくりへの提言−」についての報告書を纏め、2010年2月に発表することになっています。
三つは、大学との関係です。縁あって、韓国・ソウルの名門大学、延世大学の「日本の文化・芸術講座」で、「ユネスコの世界遺産と韓国と日本の世界遺産」について、特別講義をさせていただく機会に恵まれました。広島から韓国の仁川国際空港までは、東京に行くよりも距離的には近いのも不思議です。
私は、韓国語(ハングル)は、まったく出来ないのですが、学生は、日本語や日本文化を学習している人達なので、コミュニケーション上は、あまり問題は、ありませんでした。延世大学との単位互換で受講してくれた梨花女子大学の学生もいて、楽しい授業になりました。
海外の大学での特別講義は、ウズベキスタンの国立芸術アカデミー、中国の西南師範大学(現在の西南大学)に続いて、3度目ですが、今後もこうしたリクエストがあれば、応じていきたいと考えています。
四つは、全国で活発になっている「世界遺産登録運動」の勉強会や研究会への出講です。萌芽段階のもの、暫定リスト入りをめざし具体化しつつあるものなど、熱意、熟度、合意の度合いはまちまちです。世界遺産登録をめざし地域のソフト面、或は、ハード面の環境整備を行っていくことは、すなわち、真の地域づくり、美しいまちづくりに通じるものであることを自ら再認識している次第です。
今後は、縄文遺跡、古墳などの考古学遺跡、産業遺産、土木遺産、20世紀の都市・建築分野、文化的景観、瀬戸内海地域、「海のシルクロード」などの交易・文化の道、韓日、中日、中韓日、日ロなどトランス・バウンダリー・ノミネーションなど研究領域を広げてまいります。
五つは、新聞社、テレビ局、ラジオ局などマスコミ関係からの取材です。これまでは、電話やメールによる取材がほとんどでしたが、フェース・ツー・フェースの取材が増えてきました。フォーカル・ポイント、或は、リソース・パースンとして、今後も正確な情報把握に努めていかなければならないと考えています。
【テレビ出演】
●テレビ岩手「ザ・ナビゲーター6 岩手の文化を生かす!」 2009年3月21日
【ラジオ出演】
●RKB毎日放送「中西一清スタミナラジオ」 ドイツの世界遺産〜産業遺産について
2009年4月30日放送
【新聞記事】
●岩手日報「遺産登録へ町民一丸 御所野遺跡暫定リスト登載」 2009年2月10日
●朝日新聞 鹿児島版「奄美「減らせ天敵」/世界遺産へむけて」 2009年2月25日
●西日本新聞夕刊「『海の正倉院』に開発余波?福岡空港海上案懸念の声」 2009年3月6日
●岩手日報「遺産登録の推進役に 一戸・御所野遺跡 研究員5人に辞令」 2009年4月29日
●中日新聞「熊野古道抗議文 世界遺産の「影」消える」 2009年7月10日
●Seoul Culture Today「韓国の世界文化遺産登録」 2009年8月13日
●東京新聞、中日新聞、北陸中日新聞
2009年8月23日 サンデー版大図解「守りたい 人類の宝 危機遺産」
●北海道新聞「週刊フムフム大図解「危機遺産」」 2009年9月12日
●山梨日日新聞「富士山世界遺産の功罪テーマに討論 富士五湖青年会議所」 2009年9月20日
●岩手日報夕刊「日報論壇 御所野縄文遺跡の保存」 2009年10月1日
六つは、出版です。ここ数年、大学での授業に専念していた為、データのリニューアルなどの作業が思う様に進んでいませんでしたが、なんとか、時間も確保できる様になり、専ら、リニューアルの作業に追われています。出版についての一応の目標であった通算150タイトルも目前になりました。
今年の出版では、5月に出版した「世界遺産ガイド−暫定リスト記載物件編−」と11月に出版した「世界無形文化遺産データ・ブック−2010年版−」の作業が大変でした。前者は、これから世界遺産登録をめざす約1500の物件名の翻訳、後者は、音楽、舞踊、工芸、慣習など多様な無形文化遺産の分野の翻訳でした。前者は、時間のある時に少しずつ訳してきた作業の集大成、後者は、無形文化遺産委員会への出席、それに、ユネスコや現地からの情報収集、分析、評価の作業の連続でした。
●誇れる郷土データ・ブック−2009改訂版− 共著2009年2月 シンクタンクせとうち総合研究機構
●世界遺産ガイド−暫定リスト記載物件編− 共著2009年5月 シンクタンクせとうち総合研究機構
日本図書館協会選定図書 全国学校図書館協議会選定図書
●世界遺産マップス-地図で見るユネスコの世界遺産-2009改訂版
共著 2009年5月 シンクタンクせとうち総合研究機構
全国学校図書館協議会選定図書
●世界遺産データ・ブック−2010改訂版− 共著 2009年8月 シンクタンクせとうち総合研究機構
日本図書館協会選定図書 全国学校図書館協議会選定図書
●世界遺産事典−890全物件プロフィール−2010改訂版
共著 2009年8月 シンクタンクせとうち総合研究機構
日本図書館協会選定図書 全国学校図書館協議会選定図書
●世界遺産ガイド−危機遺産編−2010改訂版 共著 2009年9月 シンクタンクせとうち総合研究機構
日本図書館協会選定図書 全国学校図書館協議会選定図書
●世界遺産ガイド−中国編−2010改訂版 共著2009年10月 シンクタンクせとうち総合研究機構
日本図書館協会選定図書 全国学校図書館協議会選定図書
●世界無形文化遺産データ・ブック−2010年版− 共著 2009年11月 シンクタンクせとうち総合研究機構
日本図書館協会選定図書 全国学校図書館協議会選定図書
●世界遺産ガイド−自然遺産編−2010改訂版− 共著 2009年12月 シンクタンクせとうち総合研究機構
日本図書館協会選定図書 全国学校図書館協議会選定図書
●誇れる郷土ガイド−全国47都道府県の観光データ編−2010改訂版−
共著 2009年12月 シンクタンクせとうち総合研究機構
2009年度の某大学の推薦入学者選抜試験問題が、私の著作物から出題されたことは、大変、光栄なことでした。
七つは,2006年は「海外の世界遺産」に力点を置き、文化の多様性とテーマ性を重視しました。2007年は「日本の世界自然遺産」に力点を置き、大型クルーズ船「パシフィック・ヴィーナス」での船上セミナー、そして、知床、白神山地、屋久島に海からアプローチするというものでした。2008年は、日本航空、JTB、Yahooトラベル、大型クルーズ船「パシフィック・ヴィーナス」の2008年世界一周クルーズでのエーゲ海・地中海クルーズなど運輸・観光・旅行・情報系の会社などとの多様なコラボレーションが実現しました。
6月には、第33回世界遺産委員会セビリア会議に参加の際に、「セビリア大聖堂、アルカサル、インディアス古文書館」(文化遺産 1987年登録)、「ドニャーナ国立公園」(自然遺産 1994年/2005年)の2つの世界遺産を見てきました。「ドニャーナ国立公園」は、セビリアからのバスの便があまりなく、タクシーを使用せざるを得ませんでしたが、ヨーロッパでも最大級の自然保護区であり、生物圏保護区、ラムサール条約の登録湿地にもなっており、大変勉強になり、行って良かったと思います。オオフラミンゴの展望地点のビジター・センターが、すっかり、観光地になっており、自然環境の保全管理が少し心配になりました。
8月には、ソウルの延世大学での特別講義に行った際に、韓国が日本の植民地であった時代の1908年に、日本が建てた負の遺産とも言える「西大門刑務所歴史館」を見学してきました。それに、セマウル号で、慶州に足をのばし、世界遺産の「慶州の歴史地域」(文化遺産 2000年)に行きました。「石窟庵と仏国寺」(文化遺産 1995年)は、早い時期に訪問しており、今回は、新羅時代の古墳を見学するのが、主な目的でした。慶州は、よく、日本の京都や奈良と似ていると言われますが、駅を降りてからの風景は、雑然としていて、そういうところも似ているのかと思うと、少し、残念でした。
9月には、第4回無形文化遺産委員会アブダビ会議に参加の際に、「エミレーツ・パレス」、「アル・アヤラ」(Al-ayala)や「アル・アハァラ」(Al-ahaala)などの伝統舞踊、「鷹狩り」(Falconry)のスポーツ、そして、世界遺産暫定リストに記載されているオアシスにつくられた庭園都市「アル・アイン」(Al-Ain)などを見学してきました。
11月には、中国の西安に行きました。世界遺産の「秦の始皇帝陵」(文化遺産 1987年)、世界遺産暫定リストに記載されている「明・清王朝の城壁」の構成資産の一つで、隋・唐代に造られた土塁をもとに、明の時代に築かれた「西安城壁」を見学してきました。
また、玄奘三蔵(三蔵法師)がインドから持ち帰った仏経を保存する為に唐の高宗李治が築造した「大雁塔」、中国で最も早く最も多く保存している「西安碑林」、唐の高宗李治と女皇武則天を合葬した「乾陵」、漢の武帝劉徹の陵墓である「茂陵」、世界では唯一、釈迦牟尼の舎利を保存する古刹の「法門寺」、そして、唐の玄宗帝の寵妃であった「楊貴妃(楊玉環)」のお墓にも行きました。
西安からの帰り、西安咸陽国際空港では、濃霧が発生し、多くの飛行機が着陸できず、大混乱になりました。午前11時発の上海浦東国際空港への便も、遅れ遅れで、出発は、午後8時頃になってしまいました。予期せぬことが起きるのは、しばしばですが、大雪の時の千歳空港の状況を想像していただければ、その混乱ぶりは、想像できると思います。マイレージを使っての添乗員なしでの旅行でしたので、フライト・スケジュールが変更になったボーディング・パスを手にするまで、大変、疲れました。
12月には、クロアチア、ボスニア・ヘルツェゴビナをまわってきました。未踏の国々で、久方ぶりに、旅行会社主催のツアーに一般旅行者の一人として参加しました。それぞれに人生経験を積まれてこられた全国各地からの参加者との、男女、年齢、職業などを超えた、ご一緒の旅も、大変、楽しいものでした。
「トロギールの歴史都市」(文化遺産 1997年登録)、「ディオクレティアヌス宮殿などのスプリット史跡群」(文化遺産 1979年登録)、「ドブロヴニクの旧市街」(文化遺産 1979年/1994年登録)、「プリトヴィッツェ湖群国立公園」(自然遺産 1979年/2000年登録)、「モスタル旧市街の古橋地域」(文化遺産 2005年登録)の5つの世界遺産は、新鮮でした。
なかでも、アドリア海のダルマチア諸島の多島美、東方見聞録を著したマルコ・ポーロの出生地といわれるコルチュラ島、ダルマチア海岸の美しいオレンジ瓦の屋根、白壁の家並みの集落群、民族紛争の傷痕が今も残るドブロヴニクやモスタルの旧市街は感慨深いものでした。
八つは、ホームページの更新です。1997年5月15日にホームページを開設以来、地味ながらも、継続・更新してまいりました。私たちのホームページに国内外からアクセスしてくださった数も、1,000,000に達しようとしており、大変、嬉しく思っています。今後も、国内外の関係機関との相互リンクを促進していきたいと考えています。
以上が、2009年の当シンクタンク、そして、世界遺産総合研究所の主なトピックスです。今年も、幾人かの友人や知人の突然の訃報に接しました。なかでも、横須賀市にお住まいの佐藤敦子先生が突然にお亡くなりになったのには驚きました。エチオピアへの旅に出掛けられる前、心不全だった様です。佐藤先生は、私が知る限り、世界の900近い世界遺産のうち三分の二以上をまわられており、その訪問国は、約180の国と地域と聞いています。私たちを支援して下さる方々のお一人でした。心からご冥福をお祈り致します。
私たちの仕事は、グローバルな視点に立っての地道な努力と長い時間を要するものです。しかしながら、「継続は力」で、社会に役立つことも多くなってきました。また、社会的な認知度も次第に高くなり、2008年に引き続き、自由国民社発行の「現代用語の基礎知識2009」にも執筆の機会を与えて頂きました。
総じて、齢を重ねてきたこともありますが、予感や予測が当たることが多くなりました。しかし、テレビや新聞などのマスコミを通じて、世論に大きな影響を与えることもあるので、言行には気をつけたいと、改めて気を引き締めているところです。
2010年は,果たしてどんな年になるのでしょうか。戦争のない平和な地球社会にしていかなければならないのは自明の理ですが、経済状況が、再び、閉塞状況に陥り、先行きが不透明で、不安な日々が続きそうです。視界不良のなかでも、本物と偽物とを見きわめられる鋭い感性と先見性に磨きをかけ、間違っていると確信したら、早期に、方向転換をしていく勇気も必要です。
2010年も時間の許す限り、時流を読みつつ、世の中に役立つシンクタンクの舵取りを世界遺産総合研究所を中心に展開していきたいと考えています。長期的には30年、中期的には10年を視野におき、これまでに蓄積してきた知識と経験の集大成と利活用、応用と発展が課題です。
その一環として、かねてよりの懸案であった「世界遺産写真展」を全国各地で、巡回させます。社会貢献活動です。ここ数年、パソコンと対峙していた時間が長かった為、慢性的な眼精疲労が蓄積、医者からの助言もあって、PCの環境から解放されたことによって、精神的、そして、時間的なゆとりも出来て、実現したものです。
デジタルの世界からアナログの世界に戻って、これまでに撮り貯めてきた写真、それに、膨大な資料の整理が出来ました。フィルムのネガ、デジカメになってからのJPEGファイルを地域別・国別に整理しました。気がついたら、相当な量になっていて、一室がアーカイブ・ルームと化し、占有されてしまいました。
世界遺産の各物件のデータも、テキスト(タイトル、アブストラクト、フルテキスト)、写真、地図などの基本情報が膨大なデータベースとアーカイブになっています。講談社や小学館が発行している様なビジュアルな大事典の出版について、大手の出版社からオファーがあれば、前向きに応じたいと考えています。また、当方の既刊本のうち、英語版やフランス語版で出版してくれる海外からのリクエストについても、同様に考えています。
暫く休むこと、神の思し召しだと思っています。アナログの世界は、不便さはあるものの、デジタルの世界にはない大切なことがあることに気がついて、結果的には、良かったと思っています。IT(情報技術)の進展によって、確かに便利になったことは数多くありますが、人間の健康、心理、ライフスタイルに及ぼすマイナス効果の検証も必要です。
国内の世界遺産地14か所は、仕事柄、すべて行ったことがありますが、暫定リスト記載物件、また、これから世界遺産登録をめざす地にも、積極的に出向きたいと考えています。日本の47都道府県の県庁所在地は、すべて、これまでに訪問を達成し、また、海路による日本一周の夢は、2007年に実現しました。
2010年も、講演等による全国行脚で、これまでに、仕事面で実績のない、青森県、秋田県、宮城県、福島県、群馬県、長野県、富山県、滋賀県、三重県、福井県、山口県、香川県、大分県、佐賀県、鹿児島県、沖縄県に行ける機会を模索してみたいと考えています。
遠方になればなるほど、交通費がネックになりますが、それを乗り越える価値の高いお話や仕事が出来る様に、努力と精進を重ねていきたいと考えています。
海外については、南極を除いては、七大陸は、既に、制覇しました。南極については、ニュージーランドのクライスト・チャーチにある「国際南極センター」で、南極体験をしましたが、余り行きたいとは思いません。主要な世界遺産地も、紛争地域を除いては、ほぼ訪問しましたが、自然遺産、文化遺産、複合遺産の偏りがない様、意識的に、空白地の隙間を埋めていきたいので、その為の時間を確保したいと思います。
エジプトのピラミッドを日本人が最初に訪問したのは、1864年(元治元年)、徳川幕府末期の文久遣欧使節団<1863年(文久3年)から1864年(元治元年)>、通訳官として使節団に加わっていたのが慶応義塾の創立者、福沢諭吉でした。福沢諭吉は、明治初期、その著書「学問のすゝめ」の中で、人間の自由・平等・権利の尊さを説き、新しい時代の先導者となりました。
なかでも、私は、慶應義塾の教育の基本理念である「独立自尊」という言葉が好きです。「独立」は、権力や社会風潮に迎合しない態度、「自尊」は、自己の尊厳を守り、何事においても、独善的になることなく、自分の判断・責任のもとに行うことを意味しています。私のこれまでの哲学にも通じる考え方です。
世界、日本と平面的な思考から、地球と人類といった立体的な思考にパラダイムを転換していきます。また、海外や日本の世界遺産を通じて、世界の自然環境や文化財の特質、素晴らしさを外国語、なかでも英語で伝えられるバイリンガルの訓練も意識的に積んでいかなければなりません。
世界の各地を歩いてみて思うことは、ここ10年、日本の国力や国際競争力が急速に低下している様に感じます。政治の責任かもしれませんが、あらゆる分野において、相当に、気を引き締めていかないと、2010年代は、見通しの甘さ、放漫、行き詰まり、債務超過、破綻、中止・廃止・閉鎖、混乱、敗戦処理など負のスパイラル現象が露呈、表面化し、地方自治体、企業、大学など、破綻する組織体が相次ぐのではないかと、大変、危惧しています。
何事にも、優柔不断、付和雷同することなく、確たる個々の信念に基づいて、謙虚さをもって、個々の夢や目標の実現に向けて、着実な努力を積み重ねていくことが大切で、自分らしく生きていくことが、後顧に憂いを残しません。
他人の為の人生ではなく自分自身の人生なのですから、自分らしさを忘れないことが大切です。
2010年代のキーワードとして、必要性(Necessity)と緊急性(Urgency)が問われ続けるサバイバル競争が激化しそうです。組織と人間、組織は人間が動かすものですが、組織が破綻、崩壊して困るのは、人間です。不測の事態にも対応できる個々の危機管理が必要です。
ユネスコの「世界遺産」の人気も、既にピーク・アウトし、今まさに、ソフト・ランディングに向けて、収束、収斂しつつある様にも思われますが、様々な可能性への挑戦、それが、2010年の行動目標です。引き続きご支援をお願い致します。
2009年12月吉日
古田 陽久
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