2005年7月10日から17日まで、南アフリカのダーバンで、ユネスコの第29回世界遺産委員会が開催され、日本の「知床」など24物件が、新たにユネスコの世界遺産リストに登録され、世界遺産の数は世界137か国の812物件になりました。
遺産種別では、自然遺産が160物件、文化遺産が628物件、複合遺産が24物件です。
日本は、1992年に世界遺産条約を締約、日本の世界遺産は、自然遺産が「知床」、「白神山地」、「屋久島」の3物件、文化遺産が「日光の社寺」、「白川郷・五箇山の合掌造り集落」、「古都京都の文化財」、「法隆寺地域の仏教建造物」、「紀伊山地の霊場と参詣道」、「姫路城」、「広島の平和記念碑(原爆ドーム)」、「厳島神社」、「琉球王国のグスクと関連遺産群」の10物件の合計13物件あります。
「古都京都の文化財」は、1992年に暫定リスト登載、1993年12月に日本政府として世界遺産に登録推薦することを決め、1994年12月に、タイのプーケットで開催された第18回世界遺産委員会で、文化遺産に登録され、2004年12月に世界遺産登録十周年を迎え、さまざまな登録十周年記念事業が実施されました。
わが国の世界遺産では、5件目、文化遺産では、「法隆寺地域の仏教建造物」、「姫路城」次いで3番目に世界遺産になりました。「古都京都の文化財」の正式な登録遺産名は、英語で、“Historic Monuments of Ancient
Kyoto(Kyoto, Uji and Otsu Cities)”と言います。
世界遺産への登録基準は、(ii)と(iv)が適用されました。すなわち、
(ii)ある期間を通じて、または、ある文化圏において、建築、技術、記念碑的芸術、町並み計画、 景観デザインの発展に関し、人類の価値の重要な交流を示すもの。
(iv)人類の歴史上重要な時代を例証する、ある形式の建造物、建築物群、技術の集積、
または、景観の顕著な例。
また、ユネスコ世界遺産としての「古都京都の文化財」の概要は、下記の様に紹介されています。
Built
in A.D. 794 on the model of the capitals of ancient China, Kyoto was the
imperial capital of Japan from its foundation until the middle of the 19th
century. As the centre of Japanese culture for more than 1,000 years, Kyoto
illustrates the development of Japanese wooden architecture, particularly
religious architecture, and the art of Japanese gardens, which has influenced
landscape gardening the world over.
「古都京都の文化財」は、794年に古代中国の都城を模範につくられた平安京とその近郊が対象地域で、平安、鎌倉、室町、桃山、江戸の各時代にわたる建造物、庭園などが数多く存在しています。
世界遺産に登録されている物件は、賀茂別雷神社(かもわけいかづちじんじゃ 通称 上賀茂神社)、教王護国寺(きょうおうごこくじ 東寺)、比叡山延暦寺、仁和寺、宇治上神社、西芳寺(苔寺)、鹿苑寺(金閣寺)、龍安寺、二条城、賀茂御祖神社(かもみおやじんじゃ 通称 下鴨神社)、清水寺、醍醐寺、平等院、高山寺、天龍寺、慈照寺(銀閣寺)、西本願寺の17社寺・城で、古都京都の近郊及び周囲を取り巻く東山、北山、西山の山麓部を中心に分散、宇治市と滋賀県の大津市にも及んでいます。
登録遺産面積は、コア・ゾーンが1,056ha バッファー・ゾーンが3,579haです。この他に、歴史的環境調整区域面積が、23,200haが指定されています。
「古都京都の文化財」は、文化財保護法で保護されており、国宝建造物が38棟、国指定重要文化財建造物が160棟の合計198棟があり、また、国指定特別名勝、国指定名勝、国指定特別史跡、国指定史跡、国指定特別天然記念物にも指定されています。
また、古都における歴史的風土の保存に関する特別措置法、いわゆる、「古都保存法」で保護されており、景観保全については、京都市市街地景観整備条例(1995年)、京都市風致地区条例(1995年)、京都市屋外広告物等に関する条例(1996年)などで守られています。
古都京都には、約3000の社寺、2000件を越える文化財の中から、
(1)世界遺産が不動産に限られている為、建造物、庭園を対象に、
(2)国内で最高ランクに位置づけられている国宝(建造物)、特別名勝(庭園)を有し、
(3)遺産の敷地が史跡に指定されているなど、遺産そのものの保護の状況に優れているものの代表として17の物件が基本的に選び出され、古都京都の歴史とこの群を成す文化財が総体として評価されました。
歴史的、また建造物的にもきわめて重要な桂離宮、修学院離宮などを、今後、追加登録するべきだという声も数多くあります。
また、京都市では、1998年11月30日から12月5日まで、わが国では初めて開催された世界遺産委員会、第22回世界遺産委員会京都会議が開催されました。この時に、わが国では9件目の「古都奈良の文化財」が世界遺産になっています。
それでは、京都の歴史を整理してみますと、
京都は794年から1868年にかけて天皇が居所をおいた日本の首都であり、武家政権が政治の中心を鎌倉と江戸に移した時期以外は、文化、経済、政治の中心として繁栄しました。
京都は、北、西、東の三方を丘陵に囲まれた盆地という地理的特徴を利用して建設された都市です。中央の平地部では、幾多の兵火に見舞われて火災が頻発し、多くの建物などが失われては再興されるという繰返しでした。しかし、周辺の山麓部は災害を免れ、起伏に富んだ自然地形を利用して建てられた大寺院、山荘、庭園がいまでも多数残されています。
平地部にも東寺や二条城などの大きな規模の寺院や城、各種の伝統的な住宅様式を示す町並みなどの文化遺産が、条坊制の中に残っています。8世紀に創建された東寺には、11世紀から19世紀にいたる各時代の建物が建ち並び、16世紀に建造された二条城には、広大な敷地に当時の華やかな建物が残っています。
現在の京都市は、人口が約147万人、北区、上京(かみぎょう)区、左京区、中京(なかぎょう)区、東山区、山科区、下京(しもぎょう)区、南区、右京区、西京(にしきょう)区、伏見区の11の区からなっています。周辺の町村を合併したため、江戸時代以前からの伝統的な「京都」の範囲は厳密に言えば現在の京都市内の一部であり、現在の京都市と京都は同一ではありません。ただし京都という呼称が京都市を指す場合も一般的です。また、京都市への観光入込み客数は、年間約4000万人です。
フランスの「パリ」とは、友情盟約都市、アメリカの「ボストン」、イタリアの「フィレンツェ」、ドイツの「ケルン」、チェコの「プラハ」、クロアチアの「ザグレブ」、ウクライナの「キエフ」、メキシコの「グアダラハラ」と姉妹都市の関係にあります。
京都の伝統的な祭りと行事といえば、「葵祭」、「祇園祭」、「時代祭」の京の三大祭と「五山送り火」があげられます。5月15日の「葵祭」は、この祭は別名を賀茂の祭と呼ばれるように上賀茂,下鴨両神社の祭礼です。7月1日〜31日の「祇園祭」は、東京の「神田祭」,大阪の「天神祭」とともに日本三大祭のひとつに数えられるこの祭は,10日の神輿洗いから24日の還幸祭までを中心にほぼ1ヶ月を費やし,京都の四条通一帯に繰り広げられます。10月22日の「時代祭」は、秋の観光シーズンを彩り,明治28年(1895年)に「平安遷都千百年記念祭」を行った時から始められました。8月16日午後8時からの「五山送り火」は、京都の市街を囲む山の中腹に火床を設けて点火するもので,8月の京都の盆行事として最も壮麗なものです。
本日のセミナーでは、3つの資料をご用意しています。
一つは、京都市文化財保護課からご提供頂いた世界遺産「古都京都の文化財」の資料、もう一つは、財団法人平安建都1200年記念協会からの「2005春・夏版の四季彩京都」というパンフレットと、シンクタンクせとうち総合研究機構発行の「世界遺産ガイド−日本編−」です。
「古都京都の文化財」の個別の物件についてその魅力や見所を紹介しますと、まず、今回の旅で、皆様が、本日、廻られた「平等院」、「醍醐寺」について、復習してみましょう。
「平等院」(京都府宇治市宇治蓮華)は、鳳凰堂が十円硬貨のデザインになっていることでも有名です。平等院は日本の代表的な文化財で、建物に特徴があることから、昭和26年に選ばれました。平等院は、平安時代、藤原道長の別荘だったものを、その息子の関白頼通が永承 7年(1052年)に寺院に改めたものです。翌天喜(てんぎ)元年(1053年)に定朝(じょうちょう)作の阿弥陀如来を安置した阿弥陀堂、すなわち、現在の鳳凰堂が建てられ、更に、12世紀初めまでに、法華堂、五大堂などの諸伽藍が造営されました。王朝時代の優雅な建築美で名高い鳳凰堂など国宝・重要文化財の宝庫です。前面の池を配した庭園は、西方極楽浄土(さいほうごくらくじょうど)を具現化したものです。
<見所>
●鳳凰を屋上に戴く鳳凰堂(国宝)には仏師・定朝作の阿弥陀如来像が安置され、52体の雲中供養菩薩像が長押の上で、雲に乗って音楽を奏している。壁扉画、日本三名鐘のひとつといわれる梵鐘ともに国宝。
「宇治上神社」(京都府宇治市宇治山田)は、平安時代に平等院が建立されるとその鎮守社となり、その後、近在住民の崇敬を集めて社殿が維持されてきました。建立年代については、平安時代の後期に造営されたものとみられ、現存する神社本殿としては日本最古の建築、また、拝殿は鎌倉時代の初めに建てられたもので、現存する最古の拝殿です。
「醍醐寺」(京都市伏見区醍醐東大路町)は、豊臣秀吉の「醍醐の花見」で知られています。醍醐寺は、山上と山麓の平地に分かれ、山上伽藍は874年(貞観16年)に、平地伽藍は904年(延喜4年)に整備が始められたと伝えられています。その後何度も火災にあい、16世紀末から17世紀初頭にかけて現在みられる姿に復興されました。951年(天暦5年)に建立された五重塔は、年代が明らかな建物のなかでは京都に現存する最古のもので、初層内部に両界曼陀羅を描き密教寺院としての特色をみせています。現在、国宝である山上伽藍の薬師堂、清瀧宮(きよたきぐう)拝殿、平地伽藍の五重塔、金堂、三宝院(さんぽういん)の表書院(おもてしょいん)、唐門(からもん)、特別史跡特別名勝である三宝院庭園のほか、9棟1基の建物が重要文化財に指定されています。
<見所>
●三宝院は、桃山時代の豪華な襖絵や障壁画で飾られた葵の間、秋草の間、勅使の間(ともに重要文化財)につづき表書院(国宝)がある。
●毎年、2月23日には、「五大力尊仁王会」(五大力さんの愛称で親しまれている。) が行われ、この日に限って授与される御影(みえ=お札)は、あらゆる災難を除いてくれる利益がある。また、名物となっている餅上げは、男子150Kg、女子90Kgの大鏡餅に挑戦する。
●4月第2日曜日には、豊臣秀吉が催した「醍醐の花見」にちなんだ「豊太閤花見行列」が華麗な桃山絵巻を繰り広げる。
これから皆様が行かれる「高台寺」(京都市東山区高台寺下河原町)は、慶長11年(1606年)に、太閤秀吉の菩提を弔うために、秀吉の妻北政所ねね(1548〜1624年)が建立した寺であり、「蒔絵の寺」としてひろく知られています。北政所は58歳で、高台寺に移り住んでから76歳で逝去するまでこの地で過ごされ、北政所終焉の地となりました。
高台寺は、当初は曹洞宗の寺院でしたが、北政所の懇願により、日本にお茶を広めたことでも有名な栄西禅師(えいさいぜんじ 1141〜1215年)が開山した臨済宗建仁寺派の大本山建仁寺から新たに三江(さんこう)和尚を迎えられました。しかし、当時、建仁寺は臨済宗であり、同じ禅寺とはいえ曹洞宗とは宗派を異にするため、その転派が認められたのは寛永元年(1624年)であり、三江和尚が建仁寺塔頭(たっちゅう)久昌院(きゅうしょういん)から高台寺に入ったのは、その年の7月であり、北政所が病没する直前のことでした。以後、高台寺は臨済宗建仁寺派に所属し今日に至っています。
高台寺は、寛政元年(1789年)以来しばしば火災で建物を焼失し、今日、高台寺に残されているものは、小堀遠州作の庭園、表門・開山堂・霊屋(おたまや)・観月台・時雨亭・傘亭そして塔頭(たっちゅう)円徳院の本堂(木下家の居館)と化粧御殿(ごてん)跡の前庭だけになっています。ただ、小方丈(こほうじょう)にあった宝物の一部は、後に霊屋(おたまや)等に移され今日にも現存しています。
明日は、「慈照寺(銀閣寺)」、「鹿苑寺(金閣寺)」、「竜安寺」、「仁和寺」を廻られるわけですが、その魅力や見所をご紹介します。
「慈照寺(銀閣寺)」(京都市左京区銀閣寺町)は、足利義政が1482年(文明14年)に造営した別邸東山殿を、義政死後に改めたものです。西芳寺をモデルとする東山殿(ひがしやまどの)は、池を囲むように国宝である銀閣、東求堂(とうぐどう)などが配されています。銀閣は1489年(長享3年)に建てられた二層の楼閣で、下層は和様の書院風、上層は禅宗様の仏堂風になっています。また庭園は、1615年(元和元年)に改修されたと考えられますが、東山文化を代表する名園として特別史跡特別名勝に指定されています。
<見所> ●銀閣(国宝)は、観音殿として質素高貴な意匠であり、東求堂は日本最古の書院造りとして、住宅建築遺構として国宝に指定されている。庭園(特別名勝)は白砂を段形に盛り上げた銀沙灘(中国の西湖の型)、向月台(義政公の月見跡)は、月の光を反射して銀閣を照らすという。
「鹿苑寺(金閣寺)」(京都市北区金閣寺町)は、鎌倉時代に造られた貴族の別荘を足利義満が1397年(応永4年)に譲り受け、別邸北山殿に造り替えたもので、義満死後1422年(応永29年)に夢窓疎石を開山とする禅宗鹿苑寺とされたことに始まります。庭園は、衣笠山を借景とし、池にさまざまな名石を据え、池に向かって三層の豪華な舎利殿金閣を建て、山上に展望所を設けています。この庭園は、鹿苑寺庭園として、特別史跡特別名勝に指定されています。なお、1950年(昭和25年)の火災で金閣は焼失しましたが、1955年(昭和30)に復元的な再建が成されました。
<見所> ●北山文化の象徴として国内外に知られる名刹。金閣は舎利殿として建てられたもので、鏡湖池に臨む三層の楼閣は二層・三層 に金箔をはった室町期楼閣建築の代表的なもの。
「竜安寺」(京都市右京区竜安寺御陵下町)は、貴族の別荘の地を1450年(宝徳2)に禅寺としたもので、1488年(長享2年)に方丈が復興されて諸堂が整備されました。現在の方丈は、1606年(慶長11年)に造営された西源院方丈を移築したものです。方丈の南側には特別名勝に指定されている龍安寺方丈庭園が広がります。東・南・西面を築地塀で囲まれた矩形の石庭で、白砂敷のなかに5群15個の石組が配されています。15世紀中期には造られていたと考えられ、自然を狭い空間に凝縮して抽象化した様子を表現する枯山水庭園は世界的にも有名です。
<見所>
●方丈南側の枯山水庭園(特別名勝)
が石庭として名高い。三方を油土塀で 囲み、東西30m、南北10m余の長方形の白砂の庭に15個 の石を5・2・3・2・3に配置したもの。一般にこれは、虎の子渡しの名 で知られている。
「仁和寺」(京都市右京区御室大内)は、888年(仁和4年)字多(うだ)天皇の勅願寺として建立され、以降皇子・皇孫が門跡(もんぜき)を努めたことから門跡(もんぜき)寺院の筆頭、また「御室御所」(おむろごしょ)と称されています。応仁・文明の乱により全伽藍を焼失しましたが、1641〜1644年(寛永18年〜正保元年)に当時の京都御所の紫宸殿(ししんでん)と清涼殿(せいりょうでん)を移築し再興されています。また、清涼殿の古材を用いて御影堂が造営されたほか、二王門、中門、五重塔など境内の整備が進められ、現在見られる主な伽藍ができています。8月28日(日)に、二王門前の特設会場で、南こうせつのコンサート「ときのしらべ」が開催されるようです。
<見所>
●朱塗りの中門(重要文化財)をくぐると、御所の紫宸殿を移築した金堂(国宝)、五重塔(重要文化財)等が見えてくる。
●境内の背丈の低い桜は「御室桜」として有名である 。
明後日は、3つのお寺、「本願寺(西本願寺)」、「清水寺」、「西芳寺(苔寺)」を廻られるわけですが、その魅力や見所をご紹介します。
「本願寺(西本願寺)」(京都市下京区堀川通花屋町下ル)は、浄土真宗本願寺派の本山で、宗祖は、親鸞聖人(1173〜1262年)。1633年(寛永10年)ころには、ほぼ現在に近い姿に整えられました。その後、1657年(明暦3年)に黒書院(くろしょいん)、17世紀末に南能舞台(みなみのうぶたい)、1760年(宝暦11年)に本堂が再建され、桃山期から江戸期を代表する建物や庭園が今日にまで多く残されています。
<見所>
●堀川通に面して広がる浄土真宗本願寺派本山。
●境内に一歩入っただけで御影堂、阿彌陀堂(ともに重要文化財)の威容に圧倒されるがハトが遊ぶ広々とした広場は市民の憩いの場でもある。
●伏見城から移された唐門、日本最古の北能舞台、書院、黒書院、飛雲閣(いずれも国宝)の建築物は、華麗な桃山文化の粋を伝えている。
「清水寺」(京都市東山区清水)は、778年(宝亀9年)に僧延鎮(えんちん)が音羽の滝上に観音を祀ったことに始まり、798年(延暦7年)には坂上田村麻呂が仏殿を建立し桓武天皇の勅願寺になったと伝えられています。創建後何度も焼失し、建物の大半は17世紀前半の再建ですが、現在の伽藍構成は13世紀にはすでに成立していました。伽藍の中心となる国宝の本堂は、1633年(寛永10)に再建された懸造り(かけづくり)の建物で、「清水の舞台」として有名です。国宝、重要文化財である11棟の建物のほか、境内の東寄りに江戸時代初期の借景の技法を用いた名勝成就院庭園(別名「月の庭」)があります。
<見所>
●参道を上りつめると、東山の音羽山を背に仁王門、西門、三重塔(いずれも重要文化財)が迎えてくれる。
●春の桜と新緑、秋の紅葉と四季折々の美しさを背景にした舞台造りの本堂(国宝)は、断崖の上にせりだし、市街地の眺望も最高。ほかに12堂塔が建ちならぶ。
「西芳寺(苔寺)」(京都市西京区松尾神ヶ谷町)は、天平年間(729〜749年)に僧行基が開いたと伝えられ、その後1339(暦応2年)に夢窓国師(夢窓疎石)が禅宗寺院として復興したものです。復興当初は、平地部に二層の楼閣を持つ瑠璃殿(るりでん)をはじめとする庭園建築と花木に彩られた池庭を、また山腹には洪隠山と呼ばれる枯山水石組と座禅堂指東庵を配し、華やかな風景を示していました。1469年(文明元年)、兵火により建物は失われましたが、庭園は夢窓疎石が整備した地割と石組が苔に覆われながら保持されており、現在でも名園と評価されています。
<見所>
●約120種の苔が境内を覆い、緑のじゅうたんを敷きつめたような美しさから苔寺とも呼ばれる。
●庭園(特別名勝)は、上下二段構え。上の枯山水と、下は池泉回遊式で黄金池は「心」の字を描いている。
その他に、「教王護国寺(東寺)」、「二条城」、「高山寺」、「天龍寺」、「賀茂別雷神社(上賀茂神社)」、「賀茂御祖神社(下鴨神社)」、「賀茂別雷神社(かもわけいかづちじんじゃ 通称 上賀茂神社)」、それに滋賀県大津市にある「比叡山延暦寺」の8つの社寺などが世界遺産に登録されています。またの機会に訪問されることをお勧めしたいと思います。
「教王護国寺(東寺)」(京都市南区九条町)は、教王護国寺は、平安京造営に際し羅城門の東西に建立された2つの官寺のひとつで、823年(弘仁14年)に空海に下賜され、真言密教の道場として本格的な伽藍が整えられました。桃山時代を代表する金堂は1603年(慶長8)の再建、また、1844年(寛永21年)に再建された五重塔は現存する塔のなかでは高さが最大で、京都の景観のシンボルとなっています。国宝の金堂、五重塔、大師堂、蓮花門のほか、21の仏像が安置されている講堂や灌頂院、11世紀の建築である校倉造りの宝蔵など9棟1基の重要文化財を有しています。
「二条城」(京都市中京区二条通堀川西入二条城町)は、1603年 に徳川幕府が造営した城で、慶応3年(1867年)にここで大政奉還が行われました。17世紀初めの二の丸殿舎や19世紀に御所から移築された本丸御殿があります。二の丸御殿には、狩野探幽らの襖絵があります。庭園は、小堀遠州作と伝えられています。
「高山寺」(京都市右京区梅ヶ畑栂尾町)は、774年(宝亀5年)に開創された寺を、13世紀初頭に明恵上人が中興して高山寺と改称したことに始まります。中興当初、金堂、阿弥陀堂、十三重塔などが建ち並んでいましたが、中世戦乱期に荒廃し、1634年(寛永11年)に再興されました。国宝石水院は、明恵上人時代の唯一の遺構で、13世紀前半に建てられた住宅風建築や庇を縋破風で処理する手法などの細部意匠に鎌倉時代の特色が見られます。
「天龍寺」(京都市右京区嵯峨天竜寺芒ノ馬場町)は、1255年(建長7年)に造営された離宮を、1339年(暦応2年)に禅寺へ改めたものです。当初は三門、仏殿、法堂、方丈が直線上に並び、典型的な禅宗寺院の伽藍に整えられていました。度々の兵火により主要な伽藍は失われましたが、臨済宗の名僧、夢窓国師(夢窓疎石 むそうそせき)が携わった庭園は残り、当時の趣を伝えています。この庭園は、天龍寺庭園として、特別名勝に指定されています。
「賀茂別雷神社 かもわけいかづちじんじゃ(上賀茂神社)」(京都市北区上賀茂本山)は、創建は古く7世紀末にはすでに有力な神社となり、平安時代以降は国家鎮護の神社として朝廷の崇敬を集めました。その後衰微しましたが、1628年(寛永5年)ころに社殿が再興され、境内全体の整備が行われ、平安時代の姿が再現されました。再興後、本殿の造り替えが実施され、国宝の本殿と権殿は1863年(文久3年)に再建されたものです。境内にはこのほか、寛永5年に再建されたと考えられる拝殿など34棟の重要文化財の建物が残っています。
「賀茂御祖神社 かもみおやじんじゃ(下鴨神社)」(京都市左京区下鴨泉川町)は、平安京造営にあたり国家鎮護の神社として朝廷の崇敬を集め、11世紀初頭にほぼ現在の構成に整えられましたが、その後、応仁・文明の乱により広大な糺の森の樹林とともにほとんどが焼亡してしまいました。しかし、1581年(天正9年)に境内全体の整備が進められ、平安時代の状況に再び整えられました。賀茂別雷神杜と同様の流造りの代表である東西の本殿は、1863年(文久3年)に造り替えされたもので、ほかに31棟の建物が重要文化財に指定されています。
「比叡山延暦寺」(滋賀県大津市坂本本町)は、延暦7年(788年)、都の鬼門にあたる霊峰比叡山中に伝教大師最澄により開かれ、天台宗総本山として多くの堂塔がありましたが、14世紀から17世紀の建造物が現存しています。広大な寺域に東塔、西塔、横川の 3地域に分けられ、この三塔の諸堂を総称して延暦寺といいます。比叡の文化財、比叡の自然環境、仏教音楽の聲明などすべてを踏まえ世界遺産に登録されました。
以 上
古田陽久(ふるたはるひさ)プロフィール
1951年、広島県呉市生まれ。1974年、慶応義塾大学経済学部卒業。総合商社に勤務後、1989年8月に郷土の広島に帰り、シンクタンクせとうち総合研究機構を設立。1992年に「世界遺産」というテーマに巡り会う。これまでに、「世界遺産学のすすめ」、「世界遺産ガイド」シリーズ、「誇れる郷土ガイド」シリーズなど約100冊の世界遺産等に関する本を出版しており、世界遺産の研究に関しては、わが国のフロンティアの一人。
世界遺産総合研究所
世界遺産を専門の研究テーマとする民間の研究機関。長年、世界遺産の研究、出版等に取り組んできた民間のシンクタンクせとうち総合研究機構の中心的な役割を担う。全国各地での世界遺産登録に向けての勉強会や研究会への出講、世界遺産化可能性調査、コンサルティング等を行っている。インターネットでは、「世界遺産と総合学習の杜」というホームページを開設。先ごろ、アクセス件数も50万を越えるなど多大な関心を集めている。
「世界遺産と総合学習の杜」 http://www.dango.ne.jp/sri/
連絡先:〒731-5113 広島市佐伯区美鈴が丘緑三丁目4番3号 電話082-926-2306
古都京都の歴史年表
544年 葵祭が始まる
741年 恭仁京遷都
784年 長岡京(今の向日市・長岡京市が中心)遷都
788年 最澄が比叡山に一乗止観院(現在の延暦寺の根本中堂)を建立
794年 平安京(今の京都市)建都
798年 坂上田村磨呂が清水寺を創建
869年 祇園祭が始まる
888年 宇多天皇が仁和寺を創建
905年 紀貫之らが、天皇の命をうけて「古今和歌集」を撰進
952年 醍醐寺の五重塔が建立
1053年 藤原頼通が鳳凰堂を建立
平安時代後期 宇治上神社本殿が建立
1156年 保元の乱
1159年 平治の乱
1192年 鎌倉幕府開設
1200年頃 高山寺に明恵上人が植えたという日本最古の茶園が残る
1205年 「新古今和歌集」成立
1333年 鎌倉幕府滅亡
1336年 南北朝に分裂
1338年 室町幕府開設
1339年 足利尊氏が禅寺である天龍寺を建立
夢窓国師が西芳寺(苔寺)を復興
1392年 南北朝の統一
1397年 足利義満が西園寺家の山荘(北山第)を譲り受け、その後金閣寺となる
1450年 細川勝元が徳大寺の別荘を譲り受け、龍安寺を建立
1462年 池坊専慶が佐々木邸で立花を行う
1467年 応仁の乱
1482年 足利義政が東山山荘、後の慈照寺(銀閣寺)を建立
1573年 室町幕府滅亡
1579年 楽長次郎が千利休の指導で茶碗をつくり、楽焼を始める
1581年 西本願寺北能舞台建立
1582年 本能寺の変
1591年 本願寺(西本願寺)が現在の場所へ移る
1594年 豊臣秀吉が伏見城築城
1596年 この頃、平田道仁が朝鮮から七宝の技術を学び、有線七宝を確立
1598年 豊臣秀吉が醍醐の花見の宴を催す
1600年 関ヶ原の合戦
1603年 徳川家康が徳川幕府開設
徳川家康が二条城を築城
出雲阿国らが歌舞伎踊を始める
1615年 この頃、三文字屋九右衛門が粟田口焼を始める
1620年 桂離宮造営開始
1641年 この頃、音羽屋惣左衛門、音羽焼を始める
1644年 徳川家光が教王護国寺(東寺)の五重塔を再建奉納
1646年 江岑宗左が千宗旦より家督を相続(表千家)
千宗旦が今日庵を建てて、隠居(裏千家)
1650年 この頃、野々村仁清が御室焼を始める
1658年 京名所記「京童」・「洛陽名所集」の刊行
1659年 修学院離宮造営
1662年 この頃、大文字の送り火が始まる
1664年 後水尾院が修学院焼を始める
1666年 「御ひいなかた」(衣裳文様の見本帳)ができる
1684年 この頃、友禅染が起こる
1685年 京名所記「京羽二重」の刊行
1735年 売茶翁高遊外が煎茶道を始める
1754年 山脇東洋が屍体を解剖
1768年 京都の文化人を網羅した「平安人物志」を刊行
1780年 挿し絵入りの京都ガイドブック「都名所図会」を刊行
1863年 賀茂別雷神社(上賀茂神社)の本殿を造替
賀茂御祖神社(下鴨神社)の本殿を造替
江戸時代 伊根祭が始まる
1867年 大政奉還
1868年 京都府誕生
1869年 太政官が東京に移り、事実上の東京遷都
日本で最初の小学校を開設
1870年 京都府が舎密局(せいみきょく)を設置、化学工業技術の近代化を進める。
1871年 日本初、博覧会開催
1872年 第1回京都博覧会開催(博覧会にともない、都をどり・鴨川をどりが始まる)
1877年 京都駅竣工、京都・神戸間開通
1889年 京都市誕生
1890年 疏水(琵琶湖)完成。翌年から水力発電が始まる
1895年 平安奠都1100年紀念祭
時代祭が始まる
平安神宮鎮座式
第4回内国勧業博覧会
チンチン電車が走る
1897年 日本初、四条河原で映画が上映される
1915年 日本初、四条通に道路照明を設置
1926年 京都染織見本市を開催
1927年 日本初、中央卸売市場開業
丹後大震災
1946年 第一回国民体育大会が京都府を中心に開催
1949年 湯川秀樹氏がノーベル賞を受賞
1965年 朝永振一郎氏がノーベル賞を受賞
1966年 国立京都国際会館を開館
1972年 ユネスコ、世界遺産条約を採択
1981年 福井謙一氏がノーベル賞を受賞
京都市高速鉄道(地下鉄)烏丸線開通
1987年 「関西文化学術研究都市建設促進法」公布、施行
1988年 全国二巡目最初の第43回京都国体を開催
1992年 日本、世界遺産条約を締約
1994年 平安建都1200年記念事業を実施
「古都京都の文化財」、世界遺産リストに登録
1995年 阪神淡路大震災
1997年 地球温暖化防止京都会議開催
全国高校総体「京都総体」開催
新京都駅竣工
1998年 第22回世界遺産委員会、京都市で開催
2000年 第20回全国豊かな海づくり大会開催
2002年 国立国会図書館関西館開館
田中耕一氏がノーベル賞受賞
2003年 第3回世界水フォーラム開催
2004年 「古都京都の文化財」、世界遺産登録10周年
2005年 京都市人口146万人、観光入込み客数 年間4000万人
(古田陽久)
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