世界の記憶遺産60 |
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日本政策金融公庫 調査月報 |
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2011年4月号から古田陽久が、 『データで見るお国柄』の連載コーナーを 執筆しています。 |
月刊「地方議会人」 2011年9月号 |
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『世界遺産を活用した地域振興 −「世界遺産基準」の地域づくり・まちづくり−』 を、古田陽久が執筆しています。 |
月刊中国NEWS 2011年8月号 |
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私と中国のコーナーに 古田陽久が「中国から世界遺産を学ぶ」を執筆しています。 |
シルクロード 中央アジア検定 |
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出典先として、 当シンクタンクせとうち総合研究機構発行の 「世界遺産事典−890全物件プロフィール−2010改訂版」 「世界遺産ガイド−中央アジアと周辺諸国編−」 監修 古田陽久、古田真美 編集 世界遺産総合研究所 が採用されました。 |
Birdland English Course |
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当シンクタンクせとうち総合研究機構発行の 「世界遺産マップス−地図で見るユネスコの世界遺産−2009改訂版」(監修 古田陽久、古田真美 編集 世界遺産総合研究所) が採用されました。 |
2012年版カレンダー 世界遺産への旅 |
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帝国書院 中学校 社会科のしおり |
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地球環境 Vol.13 No.1/2008 |
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現代用語の基礎知識2009 |
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現代用語の基礎知識2008 |
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古田陽久が執筆しています。 |
現代用語の基礎知識2003 |
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古田陽久,古田真美が執筆しています。 |
THE EAST Vol.35,No.5 January/February 2000 |
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【本書に関するお問合せ】 The East Publications Inc. Kato Bldg.,5F,19-2 Akasaka 2 Minato-ku,Tokyo 107-0052 Japan Fax:81-3-3224-3754 The East,San Francisco Office P.O.Box 591360 San Francisco,CA 94159-1360 |
土木学会誌 Vol.85,June 2000 |
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当シンクタンクせとうち総合研究機構の古田陽久も寄稿(「ユネスコ世界遺産と土木遺産」)していますので,参考にして下さい。 |
Pasotea 2000年8月号 |
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「世界遺産」関連のURLガイドとして,当シンクタンクのURLも紹介されています。 |
佐藤敦子の遺跡紀行 ユネスコ世界遺産 125 |
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(書評) 横須賀市にお住まいの佐藤敦子先生。これまでに訪問された国は180か国に及びます。本書は先生が取材された世界遺産220物件の中から特に印象に残られている125物件が収録されています。ベスト・アングルからの美しい写真と,なるほど,化学の教鞭をとられた証しともいえる精緻な解説には頭が下がります。この他にもBeeBooksの写真集として, ■「祈り」PRAYER 世界121か国を歩いて ■「巨大遺跡」Major Ruins メヒコ・ユ・カタンひとり旅 ■「緑のアル・ヤマン」Republic of Yemen 知られざるアラビア半島一人旅 ■「ガラパゴス」GARAPAGOS 南半球・不思議な島のひとり歩き ■「出会い」AN ENCOUNTER ひとり旅世界170か国より を出版されています。 |
佐藤敦子写真集 出会い AN ENCOUNTER |
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佐藤敦子の世界遺産への旅 ユネスコ世界遺産の色彩 The Colours of the World Heritage |
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世界遺産Q&A 世界遺産基礎知識 |
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中国語版は,下記の書店で入手出来るそうです。 台灣的店 地址:台北市新生南路三段76巷6號 電話:(02)23625799 傳真:(02)23632864 |
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日本語版オリジナル |
カナダにおける国立公園の計画と管理 |
王連勇先生は,古田陽久が2003年9月に 中国・重慶市の西南師範大学から招聘を受けた際の 担当副教授です。王先生は,1990年代に日本の筑波大学大学院に留学されていました。王先生は,国立公園を科学的に計画管理する理想モデルを構築する為の研究を行われています。 |
自遊人 2005年9月号増刊 羅針盤 |
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「専門家が答える世界遺産についての素朴な疑問 世界遺産について、もっと知りたい」に 当世界遺産総合研究所の古田陽久も執筆していますので, 参考にして下さい。 |
Domaniドマーニ 2005年11月号 |
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「Domani社会人学校 エクステンションスクール 5限目特別講座 世界自然遺産学」に 当世界遺産総合研究所の古田陽久も執筆していますので, 参考にして下さい。 |
雲の上の哲学者たち トラジャ族が語りかけるもの |
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インドネシア・スラウェシ島の 山岳民族トラジャ族研究の第一人者 長崎国際大学人間社会学部教授 細田亜津子先生の新刊です。 トラジャ族の伝統的家屋トンコナンが何故に 舟の様な形をしているのか?この本で謎が解けました。 トラジャ族の伝統的な葬儀の様子も神秘的です。 細田先生の10年間にも及ぶ現地取材を可能にした トラジャ族との人間関係や絆が鮮明に読者に伝わってきます。 文章もわかり易く一気に読み進むことが出来ました。 トラジャは、インドネシアの世界遺産の暫定リストにも 記載されており、また、その伝統儀礼や伝統工芸もいずれ、 世界無形文化遺産の候補にもノミネートされてくるのでは ないかと予感しました。 有形と無形の遺産が織りなす文化的景観や文化空間は、 トラジャ族のコミュニティ独自の顕著な普遍的価値と 類いない民族文化を代表するものです。 <古田陽久> |
愛しの貴婦人 ヴィエト ナム号 |
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著者の長谷川照子先生は、地元愛知県で、国際センター運営委員他、国際交流関係のボランティアーをされています。 「洋行」という言葉がまだ生きていた1964年(昭和39年)に、フランス客船「ヴィエト ナム号」で、横浜港からフランスのマルセイユ港まで、33日間かけて、単身で渡欧され、ドイツとスイスのユースホステルで、初代日本人スタッフとしてアルバイトをしながら、二年間ヨーロッパ中をヒッチハイクで周った経験を持たれています。 当時、日本人はあまり見かけなかったし、ヒッチハイクをしている日本人はいなかったとのことで、長谷川照子先生は、いわば、『ヨーロッパの元祖日本人ヒッチハイカー』であると言えます。 この本は、往路の船中の様子を『愛しの貴婦人ヴィエト ナム号−1964年フランス郵船極東航路定期客船渡航記−』として、2003年に出版されたもので、当時の渡航状況は、現在とは隔世の感があり、戦後の日本人の「国際交流史」や「海外渡航史」の貴重な記録だと思います。 ご一読をお勧め致します。 |
ズバリ図解 世界遺産 |
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文庫本としては、初めてになります。 |
佐渡金山を彩った人々 |
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本書は、「佐渡金銀山」の世界遺産登録運動をご縁に知遇を得ました佐渡の相川小学校、逸見修校長先生を通じて、田中志津先生から戴いたものです。「金と銀の島、佐渡−鉱山とその文化−」が世界遺産の暫定リストへ追加記載されることが決まり、金山に近い相川小学校の子供たちと共に、大変喜ばれたと聞いています。相川小学校は、逸見校長先生の指導で、佐渡金銀山の世界遺産登録をめざす運動を大人と協力して行っている全国的にも例のない郷土教育の実践校です。 逸見校長先生は、「世界遺産は、そこに住む人が歴史文化を知り、誇りと愛情をもつことが大事であり、なんとしても、世界遺産にしたい!と願い盛り上がることが大切と考えています。」と述べられています。 本書は、佐渡金山400年を記念して2001年7月に出版されたものです。 春、夏、秋、冬、四季の海の輝きのなかで佐渡金山の町の人々とともに過ごした15歳から23歳くらいまでの思春期、青春期の日々の回想録です。当時、全盛だった佐渡金山で7年間働いたことなど忘れ得ぬ喜びと哀しみは、いまも金山の鉱脈の層に息づいているにちがいないと、田中志津先生は述懐されています。女性の半生を力をこめて描いた自伝的長編小説で、こうした田中志津先生の様な先人の方々の喜びや哀しみの重層的な歴史が文化となり、現在、そして、未来世代へと語り継がれていくべき貴重な記録であると思います。 田中志津先生(日本文芸家協会会員)は、随筆日記「雑草の息吹き」が昭和41年にNHKよりドラマ化され放送されたことでも知られており、他に「信濃川」、「遠い海鳴りの町」(加筆・改題され「佐渡金山を彩った人々」へ)、「冬吠え」などの作品があります。 本書「佐渡金山を彩った人々」も、先生がお元気なうちに映像化されることを望んでいます。 ご一読をお勧め致します。 |
詩人の言魂 |
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田中佐知全作品集 |
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田中佐知 絵本詩集 |
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富士山を汚すのは誰か−清掃登山と環境問題 |
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おーい世界遺産 佐渡金銀山夢追いものがたり |
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長年、小学校の教員、そして、最後は、新潟県佐渡市立相川小学校の校長を5年間つとめられた逸見先生による地元の地域遺産「佐渡金銀山」をユネスコの世界遺産にしたいという夢は、相川小学校に勤務されていた頃に時々お送りいただいていた校長室だより「仁知勇(じんちゆう)」での生徒との実践的な取組みの様子からもうかがい知ることができました。 逸見先生の地道な活動を知ったのは、2007年の2月、新潟市でのシンポジウムでの講演の機会に、冬の佐渡を訪れた時のことです。 インターネットで、佐渡の世界遺産登録運動を調べていた際に相川小学校と逸見先生の活動を知ってメールしたことに始まります。 逸見先生とは、まだ面識はないのですが、いつも、墨筆での達筆達意の文章で、ご丁寧なお手紙をいただきました。 今回、本書を出版され、定年後も地道な取組みをされていたのには、正直驚きました。100頁には、私が電話や電子メールでお伝えしたこと、213頁〜220頁には、私の論文「日本における世界遺産教育の現状と課題」についてもご紹介くださり、大変嬉しく思いました。 世界遺産登録の実現、そして、世界遺産登録後も「地域社会」(コミュニティ)の果たすべき役割は、益々大切になっています。 なかでも、地域教育に世界遺産を導入する試み、先進的な実践事例は、他の世界遺産地や世界遺産登録をめざす地域においても共感できる考え方だと思います。 本書のご一読をお勧めします。 <追記> 本書は、新潟出版文化賞 記録誌部門賞を受賞されました。 古田陽久 |
イルカおばさんの地球クルーズ |
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WINGS 蕨 隆・和 |
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無限の扉−夢育みし三津田ケ丘− |
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江戸幕府興亡史 江戸時代265年の歴史と秘話を探る |
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【著者紹介】 広島県出身。広島大学政経学部卒業。鉄鋼商社阪和興業勤務。 在勤中に、『阪和興業四十年史』、『阪和興業六十年史』、『阪和育英会五十年史』の編纂を担当。 また、平成2年から異業種交流会「21世紀人間学塾」の世話人となり、毎月1回講演会を催して人間として生きることの意義をテーマに、現在も活動を続けている。定年退職後、『1491』、『縄文の思考』、『茶の世界史』の著書のリメイクを執筆。 2009年5月15日 『律令国家と天皇』を執筆。 2009年8月27日 『まほろばの飛鳥』を上梓。 【本書の構成】 はじめに 第一部 関ヶ原の戦い 第二部 江戸幕府開府と武断政治 第三部 文治政治と元禄文化 第四部 幕政改革と海外情勢の変容 第五部 大政奉還と江戸幕府終焉 <著者への連絡先> 〒665-8799 宝塚市中山五月台2−12−15 電話 0797-88-7406 |
マチュピチュに行ってきた!! |
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アンコール遺産と共に生きる |
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画文集 炭鉱に生きる 地の底の人生記録 |
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田中志津全作品集 |
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世界遺産登録をめざす佐渡鉱山に生きた女流文芸家が残した作品 田中志津先生、先生がこれまでに著された小説、随筆、短歌を総集した全集の ご刊行、おめでとうございます。 私が、初めて、佐渡島を訪問したのは、2007年2月、新潟市の朱鷺メッセで、新潟県観光復興戦略会議主催による「新潟県の観光を考えるラインミーティング〜佐渡観光の活性化と地域の連携に向けて〜」という会合があり、「世界遺産の現状と課題−世界遺産に育てる夢と魅力のある地域づくり−」という演題で、基調講演をさせていただいた翌日でした。 穏やかな瀬戸内海に面した広島市に住んでいる私にとって、冬の日本海、風の強い佐渡島、そして、佐渡金銀山があった相川の町は、それこそ、田中志津先生のご著書にもある「遠い海鳴りの町」でした。当時、新潟県と佐渡市が中心になって、佐渡金銀山をユネスコの「世界遺産リスト」に登録する為の第一段階として、文化庁が将来の世界遺産候補として認定する「世界遺産暫定リスト」入りをめざした書類作成や環境整備を行なっている時期でした。 佐渡金銀山の遺跡等を視察して感じたのは、2007年7月に世界遺産登録を実現した「石見銀山遺跡とその文化的景観」とは異なり、日本の近代化を支え1989年(平成元年)まで操業した産業遺産が残されていることでした。 また、いろいろ調べているうちに、佐渡金銀山に近い相川小学校が、当時の逸見修校長先生のご指導で、郷土教育の一環として、佐渡金銀山の世界遺産登録をめざす運動を大人と協力して行っていることでした。 その後、Eメール等を通じて、逸見校長先生と交流する機会を得ました。「世界遺産は、そこに住む人が歴史文化を知り、誇りと愛情をもつことが大事であり、なんとしても、世界遺産にしたい!と願い盛り上がることが大切と考えています」という言葉は、世界遺産登録をめざす地域社会(コミュニティ)のあるべき姿だと思いました。 私が、田中志津先生のご著作を最初に知ったのは、逸見校長先生を通じてからで、「佐渡金山を彩った人々」の本をお送りいただいたことでした。その後、佐渡金銀山が、「金を中心とする佐渡鉱山の遺産群」(The Sado complex of heritage mines, primarily gold mines)として、2010年に世界遺産暫定リストへ追加記載されることが決まり、田中志津先生が子供たちと共に、大変喜ばれたということもお聞きしました。 「佐渡金山を彩った人々」は、佐渡金山400年を記念して2001年7月に出版されたもので、春、夏、秋、冬、四季の日本海の海の輝きのなかで、田中志津先生が、佐渡鉱山があった相川町の人々とともに過ごされた15歳から23歳くらいまでの思春期、青春期の日々の回想録であり、佐渡金山の鉱山の歴史、なかでも、最盛期の佐渡鉱山を知る上で、大変貴重な文献、生活の記録である様に思いました。 また、ご長女で詩人の故田中佐知先生は、田中志津先生の思いが詰まったご著作の朗読を通じて、語り部の様な役割を使命として果たされたのではないかと推察しております。 なかでも、『当時、全盛だった佐渡金山で7年間働いたことなど忘れ得ぬ喜びと哀しみは、いまも金山の鉱脈の層に息づいているにちがいない』と、田中志津先生は、本書の中で、述懐されていたのが印象的でした。 人間の記憶は、風化し忘却されていくものです。しかしながら、「佐渡金山を彩った人々」は、女性の半生が力をこめて描かれた自伝的長編小説で、こうした田中志津先生の様な先人の方々の喜びや哀しみの重層的な体験と記録が、佐渡の歴史文化の背景となって、現在、そして、未来世代へと、脈々と語り継がれていくべきだと思います。 そうした意味でも、再び、佐渡に行く機会があれば、2トンの金鉱石と共に建立されている佐渡金山顕彰碑(田中志津文学碑)の石碑に刻まれた碑文を読み返し、大正、昭和、平成と三つの時代を生きた女流文芸家・田中志津先生の思いを回想してみたいと考えています。 2012年11月10日 世界遺産総合研究所 所長 古田陽久 【出所】田中志津全作品集 『栞』より |
私の人生公路 少しは恩返しできたかな |
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先日、私が出演していたテレビ番組を見て下さり、思いがけない人から、メールや電話をいただいた。 その中のお一人、小笠原臣也 元呉市長。高校の大先輩であり、私が大学生の頃に初めてお会いした。約20年ぶりくらいになるだろうか。 食事をお誘いいただき久しぶりの再会となった。もう80歳近いお歳になられるが、昔と変わらない元気なお姿に接した。 昨年『現代史料出版』から出版された「私の人生公路」という本をいただいた。副題に、"少しは恩返しできたかな"とある。 小笠原臣也回顧録は、自分史、対談編とあり、顕著な実績をあげた人物のオーラル・ヒストリーを記録に残す広島大学文書館の編だ。 順風満帆ばかりではなかった人生経験や思いの詰まった一冊だ。 |
ある家族の航跡 |
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現代社会においては、家族の絆が希薄になりつつある。本書は、女流作家の田中志津さんを中心に、そのDNAを受け継いだ詩人・エッセイストの佐知さん、写真家の行明さんの、これまでの創作活動の作品を収録してある。本書を通じて、仲の良い親子、兄弟姉妹の文学・芸術の創作活動を通じての家族の強い絆を読み取ることができる。 |
「なんでも学べる学校図書館」をつくる |
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119頁に当シンクタンク発行の「世界遺産データ・ブック」と「世界遺産ガイド」が紹介されています。 |
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未来への伝言 |
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佐渡金山 |
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くもんの世界地図パズル |
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佐渡金山 |
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くもんの世界地図パズル |
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佐渡金山 |
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くもんの世界地図パズル |
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かがく組4年生 |
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