富岡製糸場と絹産業遺産群をユネスコ世界遺産に!















                              2012年6月15日




                     

                       世界遺産総合研究所 所長 古田陽久


2014年の世界遺産登録をめざす「富岡製糸場と絹産業遺産群」(群馬県)の日本政府からユネスコへの登録推薦が、いよいよ大詰めを迎えている。

 そうしたなか、6月中旬に、世界遺産候補地をまわった。最終的にコア・ゾーンを構成する、富岡製糸場(富岡市)、田島弥平旧宅(伊勢崎市)、高山社跡(藤岡市)、荒船風穴(下仁田町)の4箇所である。

 世界遺産登録の必要条件である登録基準を満たすものなのか、また、その根拠、十分条件である、真実性、完全性、そして、既に世界遺産リストに登録されている他の産業遺産との比較、担保条件となる恒久的な保存管理の為の法的担保措置、保存計画、保存管理体制など世界遺産にふさわしいものかどうか、また、世界遺産地としての行政と住民の対応等についての点検の為である。

 日本の産業発達史のなかで、繊維産業としての絹が果たした役割、生糸生産の技術革新を先導し大量生産を実現した富岡製糸場の立地の選定と近代的な機械の導入、生糸の原料供給を下支えした蚕糸業などの絹産業遺産群などで、ストーリーは構成されている。

 なかでも、桑の葉を食べて成長する蚕の一生は、興味深いものだった。また、富岡製糸場の操業にあたって、フランスから技術を導入、指導者としてのポール・ブリュナ(Paul Brunat 1840年6月30日〜1908年5月7日)の果たした役割は大きかった。

 富岡製糸場で生産された生糸は、安価で良質であり、日本国内の需要のみならず、フランスなどの海外へも輸出された。

 それに、日本で最初の官営模範工場であっただけに、全国から集まった工女の労働環境にも配慮されていたという。

 富岡製糸場の価値や魅力を普及・啓発する伝道師の方の解説も詳しく感心した。

 江戸時代の鎖国から開国へと近代日本の夜は明けた。「富岡製糸場と絹産業遺産群」は、明治政府が掲げた「富国強兵・殖産興業」の国策の一翼を担うものであり、当時の世界経済、繊維産業、絹の文化の発展に貢献した役割は大きく、世界的な「顕著な普遍的価値」を有するものと考える。

 2014年の世界遺産登録の実現に向けて、支援したいと思う。パリ東部の郊外にあるぺール・ラシューズ墓地に眠るポール・ブリュナも、きっと喜ぶことだろう。
                             



     古田陽久







旧富岡製糸場にて 写真は、古田真美



田島弥平旧宅にて 田島健一氏と古田陽久







参考文献
世界遺産データ・ブック−2012年版−
世界遺産事典−936全物件プロフィール−
世界遺産ガイド −文化遺産編
世界遺産ガイド −産業・技術編 −
世界遺産ガイド −産業遺産編 −保存と活用














世界遺産と総合学習の杜に戻る
出版物ご購入のご案内に戻る
出版物のご案内に戻る
シンクタンクせとうち総合研究機構のご案内に戻る
世界遺産総合研究所のご案内に戻る
世界遺産情報館に戻る 
誇れる郷土館に戻る