日本の世界遺産




ユネスコ世界遺産と日本の世界遺産
 1999年11月29日から12月4日まで,モロッコのマラケシュで,ユネスコ(国連教育科学文化機関)の第23回世界遺産委員会が開催され,「日光の社寺」(Shrines and Temples of Nikko)(日本),「大足石刻」(The Dazu Rock Carvings)(中国),古都ホイアン(ベトナム)(Hoi An Ancient Town),「ダージリン・ヒマラヤ鉄道」(TheDarjeelingHimalayan Railway)(インド),「フランダース地方とワロン地方の鐘楼」(Belfries of Flanders and Wallonia)(ベルギー),「博物館島」(Museumsinsel(Museum Island)(ドイツ),ヴァルデス半島(Peninsula Valdes)(アルゼンチン)など48物件が,新たに,「世界遺産リスト」(World Heritage List)に登録され,ユネスコ世界遺産の数は,630物件(自然遺産 128物件,文化遺産 480物件,複合遺産22物件)になりました。

 今回の委員会では,世界遺産条約(Convention Concerning the Protection of the World Cultural and Natural Heritage)の締約国(State Parties)(158か国)から推薦され,その後,ICOMOS(=International Council of Monuments and Sites 国際記念物遺跡会議)やIUCN(=International Union for Conservation of Nature and Natural Resources 国際自然保護連合)などの関係機関,また,世界遺産委員会(21か国)の代表7か国で構成されるビューロー会議(The Bureau of the World Heritage Committee)でスクリーニングされた「顕著な普遍的価値」(Outstanding Universal Value)をもつ多様な物件が,新たに登録されました。  

 世界遺産(英語 World Heritage 仏語 Patrimoine Mondial)とは,人類が歴史に残した偉大な文明の証明ともいえる遺跡や文化的な価値の高い建造物,そして,この地球上から失われてはならない貴重な自然環境を保護・保全することにより,人類にとってかけがえのない共通の財産(Our common heritage)を後世に継承していくことを目的に1972年のユネスコ総会で採択された世界遺産条約に基づく世界遺産リストに登録されている物件のことです。  

 この世界遺産の考え方が生まれたのは,ナイル川のアスワン・ハイ・ダムの建設計画で,1959年に水没の危機にさらされた古代エジプト王のラムセス二世(the Pharaohs of ancient Egypt, Ramses U)が建てたアブ・シンベル神殿(The Temples of Abu Simbel)などのヌビア遺跡群(Nubian Monuments)の救済問題でした。この時,ユネスコが遺跡の保護を世界に呼びかけ,多くの国々の協力で移築したことにはじまります。また,ユネスコが,1972年に人間と生物圏(Man and the Biosphere=MAB)計画を発足させたことにより国際的に自然保護運動の気運が高まったことも契機になりました。

 このように人類共通の遺産を,国家をこえ,国際的に協力しあい,保護・保存することの必要性から生まれた概念が世界遺産なのです。  

 世界遺産とは,ユネスコの世界遺産リストに登録されている世界的に顕著な普遍的価値をもつ記念物(Monuments),建造物群(Groups of buildings),遺跡(Sites),自然環境など,国家や民族を超えて未来世代に引き継いでいくべき人類共通のかけがえのない地球の自然や人間によって創造された文化の遺産です。  

 世界遺産条約を締約している締約国から推薦された遺産は,世界遺産委員会の審議を経て世界遺産に登録されます。 また,世界遺産委員会は,大火,暴風雨,地震,津波,洪水,地滑り,噴火などの大規模災害,内戦や戦争などの武力紛争,ダムや堤防建設,道路建設,鉱山開発などの開発事業,それに,入植,狩猟,伐採,海洋汚染,大気汚染,水質汚染などの自然環境の悪化による滅失や破壊など深刻な危機にさらされ緊急の救済措置が必要とされる物件を危機にさらされている世界遺産リスト(List of the World Heritage in Danger)に登録することができ,「アンコール遺跡群」(Angkor)(カンボジア),「トンブクトゥー」(Timbuktu)(マリ),「イエローストーン」(Yellowstone)(アメリカ合衆国)など27物件が様々な原因や理由により,危機遺産になっています。  

 各締約国の拠出した世界遺産基金(the World Heritage Fund)から,必要に応じて保全に対する国際援助が行われています。こうした世界遺産に対する考え方の根底には,地球上のかけがえのない自然遺産(Natural Heritage),人類の英知と人間活動の所産を様々な形で語り続ける文化遺産(Cultural Heritage),自然遺産と文化遺産の両方の要件を満たしている複合遺産(cultural and Natural Heritage)は,その国やその国の民族だけのものではなく,地球に住む私たち一人一人にとってもかけがえのない宝物であり,その保護・保全は人類共通の課題であるという共通認識があります。  

 世界遺産は,単に,ユネスコの世界遺産に登録され国際的な認知を受けることだけが目的ではありません。顕著な普遍的価値を持つ世界遺産を保護・保全するために,その重要性を広く世界に呼びかけ,保護・保全のための国際協力を推し進めていくことが世界遺産の基本的な考え方といえます。  

 わが国は,1992年6月19日に世界遺産条約を国会で承認,,9月30日に発効し,新たな締約国として仲間入りしました。ユネスコの世界遺産は,1999年12月2日現在,10物件(自然遺産が2物件,文化遺産が8物件)あります。

 これらを北から見てみると,世界最大級のブナ原生林の「白神山地」(Shirakami-Sanchi)(自然遺産・1993年),徳川幕府の祖を祀る霊廟がある聖地「日光の社寺」 (Shrines and Temples of Nikko)(文化遺産・1999年),日本の心のふるさとともいえるノスタルジックな「白川郷・五箇山の合掌造り集落」(Historic Villages of Shirakawa-go and Gokayama)(文化遺産・1995年),かつて日本の首都平安京であった「古都京都の文化財」 (Historic Monuments of Ancient Kyoto(Kyoto, Uji and Otsu Cities))(文化遺産・1994年),古代日本の首都・平城京があった「古都奈良の文化財」(Historic Monuments of Ancient Nara)(文化遺産・1998年),世界最古の木造建造物のある「法隆寺地域の仏教建造物」(Buddhist Monuments in the Horyuji Area)(文化遺産・1993年),日本を代表する城郭建築の「姫路城」(Himeji-jo)(文化遺産・1993年),人類史上初めて使用された核兵器の惨禍を伝える「広島平和記念碑(原爆ドーム)」(Hiroshima Peace Memorial(Genbaku Dome))(文化遺産・1996年),日本三景の一つ宮島の「厳島神社」(Itsukushima Shinto Shrine)(文化遺産・1996年),樹齢7200年といわれる縄文杉のある「屋久島」(Yakushima)(自然遺産・1993年)という分布になっています。  

 これらの物件に共通することは,どんなに立派な現代建築物や人工の公園にも模倣の出来ない日本の原風景,本物の粋美や主張をそれぞれに発見することができます。  
 日本には,これらの他にも,世界に誇れる自然環境や文化財が各地に数多くあり,今後も,より多くの物件がユネスコの世界遺産に登録されていくことが期待されています。  


English(Summary

by Haruhisa Furuta ,Chief Executive Researcher Setouchi Research Institute  (C)

本稿の英文(要約)についは,「THE EAST」Vol.35,No.5 January/February 2000 をご参照下さい。


(参考文献)
シンクタンクせとうち総合研究機構 発行「世界遺産ガイド −日本編−


















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