世界遺産総合研究所 所長 古田陽久
この度は、杭州市人民政府と中新社共催の第一回中国大運河国際サミットにお招きいただき有難うございます。限られた時間ではありますが、「世界遺産と持続可能な観光の発展-日本の世界遺産地の事例など」についてお話しさせていただきます。
私にとって、杭州への旅は今回で四度目になります。2011年には、その年に世界遺産登録された「杭州西湖の文化的景観」を取材したことがありますが、訪れる度に、その発展ぶりと進化していく様子には驚かされます。
杭州は、古くから日本との関わりも深く、特に西湖は、私の住んでいる広島の縮景園という庭園の中の橋は蘇堤の「跨虹橋」をモデルにしており、また杭州市の姉妹都市のひとつである山口県岩国市の「錦帯橋」は、白堤の「錦帯橋」の名前に因んでいるという、大変なじみのある場所であります。
私は、先ほど申し上げました通り、広島市に住んでおり、ユネスコ遺産の研究を20年近く続けてきました。世界遺産、世界無形文化遺産だけでなく、最近では世界の記憶である世界記録遺産にも研究領域を広げてきました。
毎年開催される世界遺産委員会や無形文化遺産委員会にもオブザーバーステイタスで参加してきており、その研究成果を出版、講演、シンポジウム、テレビ出演などで発表しています。今回のお招きもこのような活動を評価していただいた結果だと思い、感謝しております。
さて、「世界遺産の現状と課題」ですが、現在、ユネスコの世界遺産の数は1052件(自然遺産 203 文化遺産 814
複合遺産 35)あります。
今年7月にトルコで開催された第40回世界遺産委員会イスタンブール会議では、中国では2件が世界遺産に登録され、中国の世界遺産の数は50件(「九寨溝」、「黄龍」などの自然遺産が11、「万里の長城」、「蘇州の古典庭園」、「杭州西湖の文化的景観」などの文化遺産が35、「泰山」、「黄山」などの複合遺産が4)となり、イタリアの51に次いで、世界で第2位になりました。世界無形文化遺産の数は、「昆劇」など37あり、世界第1位です。
中国には長い歴史があり、国土面積も広く、各時代、各地域を代表する世界遺産ポテンシャル・サイトも多いので、世界遺産の数が世界一になる日も、そんなに遠い将来のことではないと思います。
しかしながら、世界遺産とは、その数の多さを競うものではなく、本来の主旨は、「世界遺産を取り巻く脅威や危険」から守り、次世代へ継承していくというものです。そういう意味でも、ただ単に世界遺産を愛でるだけでなく、いかに保護し守っていくかが一番重要なことと思っています。
世界遺産は、登録後も様々な問題が発生し、危機的な状況に陥り、登録時の「顕著な普遍的価値」が損なわれた場合には、「危機にさらされている世界遺産リスト」(略称:危機遺産に登録されます。今年は新たに8件が登録され、現在「危機遺産」は55件となり、危機遺産比率は5.23%と過去最悪を記録しています。その原因や理由を整理してみると、「風化」、「劣化」、「大地震」、「豪雨」、「火災」、「戦争」、「紛争」、「都市化」、「無秩序な地域開発」、「管理体制の欠如」などが挙げられます。
中国大運河の場合、今後考えられる危機因子としては、洪水、水質汚染、火災、経済・都市開発、観光開発圧力などがありますが、世界遺産登録時の「顕著な普遍的価値」が損なわれない様、常日頃からのモニタリング体制など危機管理対応は大変重要なことと思います。
近年、紛争による理由で「危機遺産」に登録されるケースが目立っています。昨年、ユネスコの事務局長イリーナ・ボコヴァ氏は、「世界遺産は、今、イスラム国などによる攻撃、破壊、盗難の危機にさらされている」とし、これらの脅威や危険からシリア、イラク、イエメン、リビア、マリ、アフガニスタンなどの世界遺産をどう守っていくべきなのか問題提起しました。そして、平和の大切さを再認識する「世界遺産に関するボン宣言」が採択されました。当たり前のようではありますが、平和と安全な社会であってこその「世界遺産」だということを私たちは再認識する必要があります。
次に、「日本の世界遺産地の事例」をご紹介します。日本は、1992年に世界遺産条約を締約、現在、世界遺産の数は、20(自然遺産 4、文化遺産 16)あります。
世界遺産に登録されると、国内外への知名度がアップし、保全意識も向上します。訪れる人も増え、地域波及効果や経済波及効果が見込まれます。
一方、開発圧力、観光圧力、環境圧力などが強まり、様々な問題点や課題が生じてくる場合もあります。日本の世界遺産地の共通点として、世界遺産登録年の前後にわたって観光客が急増する「観光圧力」があります。特に、比較的知名度の低かった世界遺産地では、交通渋滞、駐車場不足、排気ガスなどの交通問題が発生しました。
「白川郷・五箇山の合掌造り集落」(1995年登録)や、「石見銀山遺跡とその文化的景観」(2007年登録)では、世界遺産登録によって観光客数が急激に増えました。伝統的な歴史的町並みに観光客があふれ、交通問題や、騒音や水質汚染などの環境問題など地域住民へも悪影響が出て大きな問題となりました。
そこで、パーク・アンド・ライド、或は、パーク・アンド・ウオークの方式を採用しました。世界遺産地近くに駐車場を整備し、そこにマイカーや観光バスを駐車させてシャトル・バスや徒歩で世界遺産の核心地域に向かう交通規制システムのことで、この対応策によって交通問題を回避しています。
「中国大運河」においても、運河沿いに歩道や自転車道を整備し「環境に優しい遺産観光」を促進すべきだと思います。
また、駐車場内には、世界遺産のガイダンス施設を建設、そこが案内所や学びの場となる機能を兼ね備え、世界遺産の価値を損なわないための様々な工夫をしています。
世界遺産の周辺の景観についても問題があります。「広島の平和記念碑(原爆ドーム)」や「古都京都の文化財」の宇治の平等院で、バッファーゾーン近くにマンションや商業ビルが建設され景観問題になりました。この様な景観問題等が起こらない様に、各自治体での条例の制定や広目のバッファー・ゾーンを設定しておくことが大切です。
日本においても、県をまたがるシリアル・ノミネーションの登録が増えています。青森県と秋田県にまたがる「白神山地」、京都府と滋賀県にまたがる「古都京都の文化財(京都市、宇治市、大津市)」、岐阜県と富山県にまたがる「白川郷・五箇山の合掌造り集落」、和歌山県、奈良県、三重県の3県にまたがる「紀伊山地の霊場と参詣道」、山梨県と静岡県にまたがる「富士山―信仰の対象と芸術の源泉―」、岩手県、静岡県、山口県、福岡県、長崎県、佐賀県、熊本県、鹿児島県の8県にまたがる「明治日本の産業革命遺産―製鉄・製鋼、造船、石炭産業―」、そして、今年登録された世界の7か国の複数国にまたがる「ル・コルビュジェの建築作品―近代化運動への顕著な貢献―」の17の構成資産の一つである「国立西洋美術館」です。
このように、複数の自治体や国にまたがる世界遺産は、それぞれの自治体(国)での法律や条例などが異なることから、共通の保護体制をとることが困難な場合が多いのですが、共通のロゴなどのサイン、案内板の設置などの工夫で世界遺産の保存管理に対応しているようです。
6つの省と18市の広範な地域を貫く豊かな文化と偉大な価値を有する「大運河」においても、各自治体間の緊密な交流と協力を高めることが必要です。
また、「明治日本の産業革命遺産―製鉄・製鋼、造船、石炭産業―」の構成資産の中には、現在も稼働を続けている「稼働遺産」も含まれ、どの様に公開していくかが課題になっています。
次に、「世界遺産と持続可能な観光の発展」です。世界遺産条約の目的は、保存管理が基本ですが、利活用も大切です。
私は、教育、観光、まちづくりを挙げてきました。「世界遺産と持続可能な観光の発展」においても、世界遺産教育や、まちづくりの考え方が重要だと思います。
世界遺産とは何なのか? また、京杭(ジンハン)「大運河」が、なぜ、世界遺産に登録されたのか、その「顕著な普遍的価値」とは何なのかを世界遺産地のコミュニティ(地域社会)の地元民が理解すること必要です。
日本では、社会教育や学校教育でも、学際的、国際的な「世界遺産」をテーマに取り上げることが多くなりました。 また、行政と住民との協働によるまちづくりにも活かされています。
また、世界遺産登録の意義を再認識する意味でも、「世界遺産の日」や「世界遺産登録〇〇周年」などの事業を実施している自治体が多いです。 私の地元、広島でも「厳島神社」、「原爆ドーム」が世界遺産登録20周年の節目の年を迎え、様々な記念行事が開催されています。
最後に、「観光」の語源は、古代中国の書物「易経」の「観国之光、利用賓于王」(国の光を観るは、用て王に賓たるに利し)との一節によります。世界遺産大国・中国の使命として、「文化の道」或は「文明の道」ともいえる「視覚回廊」、「生きている世界遺産」「大運河」の保存管理と利活用、持続可能な観光の発展のモデル事例やベスト・プラクティス(最善の実践事例)を世界に提示してほしいと思います。
本稿は、2016年10月21日(金)に中国の杭州市で開催された「第一回中国大運河国際サミット」(杭州市人民政府・中国新聞社共催)での古田陽久の講演要旨です。
<参考>
●2016年10月21日「世遺專家為大運河保護支招:建設環保型遺產旅遊」 中新网 - 中国新闻网、新浪首页、香港新浪、壹讀
●2016年10月21日世界遺產與旅遊開發相矛盾嗎? 每日頭條
●2016年10月19日大咖來啦,「星光熠熠」的運河大會後天就開幕
每日頭條
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