ウズベキスタン・ボイスン地方に感動の文化空間







 ユネスコ(国連教育科学文化機関)は2001年5月、「人類の口承および無形遺産の傑作」の一つにウズベキスタンの「ボイスン地方の文化空間」を指定した。現地で今年5月、初めての野外民俗芸能フェスティバルが催され、同時に開かれた国際学術会議に出席する機会を得た。

 今回の訪問は、約1年間の研究活動を通じて、現地のユネスコ関係者らとのコミュニケーションのなかで実現した。

 ボイスンという地名は、日本で発行されている地図帳や辞典などにはほとんど記載がない。地方は中央アジアのシルクロードでも知られるウズベキスタンの南東部、アフガニスタンと接するスルハンダリヤ州に位置し、面積は3713平方キロ。山麓の草原地帯に71の村があり、8万2400人が生活している。首都タシケントから車で約8時間かかる長旅だった。

 ボイスン地方は、小アジアからインドへの交通路にある世界で最も古い人間居住地の一つとされ、周辺では旧石器時代の集落遺跡、ネアンデルタール人の遺跡や洞窟壁画のほか、古代バクトリア王国やアレキサンダー大王の東方遠征、シルクロード、ティムール帝国ゆかりの歴史的な遺跡も数多く発見されている。

 人々は農業、牧畜業を生活の糧にし、近隣関係を大切にし助け合う独自のコミュニティー社会を形成している。先祖を大切にし、ゾロアスター教、仏教、イスラム教などの宗教やシャーマニズム、トーテミズムなど古来の信仰の影響を受け、田植えなどの季節的な行事、それに結婚、子供の誕生、割礼、葬儀など家族的な儀式などの民俗・慣習と、伝統的な音楽、舞踊、語りなどの芸能とが有機的に結びつき現在に伝承されている。

 たとえそれが少数民族社会であろうとも、伝統的な音楽、舞踊、遊戯、神話、儀礼、慣習、手工芸などの無形文化遺産の傑作は、遺跡、建造物群などの有形文化遺産と共に感動の文化空間を形成する文化遺産の両輪であることを実感した。

 このような独特の地方文化が育まれた歴史的な背景や地理的環境を考えると、都市との隔絶性や生活の不便さが、逆に人々に自ら考え生き抜いていく知恵や工夫、それに人間や近隣関係などを大切にする愛や心などを自然と育み、創造的な独自性を培ったのではないかと思う。

 今回のフェスティバルと国際会議には、ウズベキスタン国内をはじめ周辺諸国、フランス、ロシア、韓国、日本などからも数多くの参加者があった。ボイスン地方の口承・無形文化遺産がユネスコの認知も受け、文字通り「ボイスン・バホリ」(ウズベク語で、ボイスンの春という意味)が訪れている。フェスティバルが回を重ね、隣国のアフガニスタンの人々とも交流できる国際平和の空間になることも願いである。

 また今回の旅で、「ジャパンの広島から来ました」と自己紹介すると、一応に「ヤポン、ヒロシマ、ナガサキ、トウキョウ」という反応が返ってきた。中央アジアの辺境の地にあっても「ヒロシマ」の名前は浸透しており、「広島」という地名を言葉にする以上、ヒロシマの歴史的事実を語らなければならないような雰囲気と責任感を感じた。


本稿は,2002年7月13日(土曜日)の朝日新聞(広島版)の「暖流寒流」に掲載された,当シンクタンク代表古田陽久の投稿記事を基にしています。








ボイスン・バホリの開会式
ボイスンのスタジアムで開催された
野外民俗芸能フェスティバルの開会式でのアトラクション

2002年5月25日 写真撮影 古田陽久












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