四国霊場八十八ヶ所と遍路道の文化的景観をユネスコ世界遺産に!!!! |
キーワードは文化的景観 |
はじめに この世界遺産セミナーでは、「四国いやしの文化〜四国霊場八十八ヶ所と遍路道〜世界遺産登録の実現に向けて」と題して、最新の世界遺産の現状と日本が取組むべき課題、そして、先般、文化庁が発表した世界遺産暫定リストへの追加措置に伴う地方公共団体からの提案の募集に際して、「四国霊場八十八ヶ所と遍路道」の応募を強く勧奨します。 「四国霊場八十八ヶ所と遍路道」を世界遺産にすることの国民的願望は、富士山等に次ぐもので、また、まだ世界遺産がない四国地方からの世界遺産の誕生を心から願うものです。 その為には、世界遺産登録に向けての国内外の手続きをステップ・バイ・ステップでスピーディーに進めていかなければなりません。「四国霊場八十八ヶ所と遍路道」の世界遺産登録に向けて、今やらなければならないことは、 @四県推進協議会の早期設置 A暫定リスト素案(検討資料)作成への早期着手 B世界遺産登録に向けての環境整備 の3点です。 「四国霊場八十八ヶ所と遍路道」と「世界遺産」に関する英知を結集し、四県推進協議会主導のコンセンサスの確認と書類作成が急がれます。この世界遺産セミナーでは、ユネスコ世界遺産のグローバル・ストラテジー(世界戦略)に基づく要点を解説します。 日本の世界遺産の現状と課題 ユネスコ(国連教育科学文化機関)の世界遺産は、現在、世界的に顕著な普遍的価値(Outstanding Universal Value)を有する遺跡、建造物群、モニュメントなどの文化遺産が644件、同じく世界的に顕著な普遍的価値を有する自然景観、地形・地質、生態系、生物多様性などの自然遺産が162件、文化遺産と自然遺産の両方の登録基準を満たす複合遺産が24件の合計830件(138か国)です。 日本の世界遺産は、「知床」、「白神山地」、「屋久島」の3件の自然遺産、「日光の社寺」、「白川郷・五箇山の合掌造り集落」、「古都京都の文化財」、「法隆寺地域の仏教建造物」、「古都奈良の文化財」、「紀伊山地の霊場と参詣道」、「姫路城」、「原爆ドーム」、「厳島神社」、「琉球王国のグスク及び関連遺産群」の10件の文化遺産の合計13件です。 今後、世界遺産に登録する候補物件としての暫定リストには、現在、「古都鎌倉の寺院・神社ほか」、「彦根城」、「平泉の文化遺産」、「石見銀山遺跡とその文化的景観」の4物件が登録されています。 このうち、「石見銀山遺跡とその文化的景観」については、2006年1月にユネスコが世界遺産登録申請書類を受理、第31回世界遺産委員会クライスト・チャーチ会議(2007年6月23日から7月1日)で世界遺産リストへの登録の可否が決まります。「平泉の文化遺産」については、2008年の世界遺産登録をめざして、2007年2月1日までにユネスコに世界遺産登録推薦書類(登録推薦遺産名「平泉―浄土思想を基調とする文化的景観」)が提出される見通しです。 また、今後、暫定リスト入り、そして、正式な世界遺産登録が期待されるのは、自然遺産関係では、環境省と林野庁が既に見解を示している、東洋のガラパゴスにもたとえられ特異な島嶼生態系を誇る「小笠原諸島」、亜熱帯生態系や珊瑚礁生態系、海中景観を誇るトカラ列島以南の南西海域に展開する「琉球諸島」の2物件です。 文化遺産関係については、当初の、そして、追加の暫定リスト記載物件の世界遺産登録の実現によって、残り数も少なくなっており、文化庁は、新たな物件を国内で選定しなければならない状況にあります。 日本が世界遺産条約を締約したのは1992年であり、世界遺産の数も世界的に見ると15位、暫定リストへの登録物件数も、イタリア、スペイン、中国、ドイツ、フランス、イギリスなどの上位国と比較して見劣りがし、世界遺産登録への積極的な意欲と暫定リストの充実が必要です。 新しい地域づくりやまちづくりの試み わが町、わが地域の誇れる自然環境や文化財の世界遺産登録をめざす官民の運動は、検討段階のものも含めると全国で約50近くあり、その活動は、年々活発化しています。 そのねらいや思惑にも違いはありますが、世界遺産になる為の登録基準などの登録要件などを国際的な評価基準にあてはめて、その真正性や完全性を検証してみることは、結果はどうであれ、決して無駄な作業にはなりません。 世界遺産になる為の登録要件としては、 第一に、世界的に「顕著な普遍的価値」(Outstanding Universal Value 略称OUV)があるかどうかです。 第二に、上記に連動しますが、世界遺産の登録基準の10の基準のうち一つ以上、満たしていなければなりません。 第三に、恒久的な保存管理措置が法律的にも、また、計画的にも、担保されているかどうかです。 地域遺産の世界遺産化を考えること、また、それに向けての活動は、まさに、真の地域づくり、まちづくりそのものです。 世界遺産登録運動のさきがけは、静岡県と山梨県にまたがる「富士山」と広島の「原爆ドーム」です。 富士山については、1992年にわが国がユネスコの世界遺産条約を締約した頃に、地元の熱心な市民や自然保護団体の方々を中心に「富士山を世界遺産(世界自然遺産)とする連絡協議会」を組成、246万人の署名を得て、1994年には「富士山の世界遺産リストへの登録に関する請願」として国会請願の段階にまで達しました。 しかし、「富士山の世界遺産化については、ごみやし尿など環境保全の対策に問題がある」との指摘があり、富士山を世界遺産にする旨の政府推薦はされませんでした。 2005年4月に「富士山を世界遺産にする国民会議」が設立され、富士山の文化的景観を世界遺産にするべく、文化遺産登録をめざして、静岡県と山梨県両県を中心とした仕切り直しの動きが活発になっています。 「原爆ドーム」は、当初の暫定リストには入っていませんでしたが、地元の民間団体が立ち上がり、全国165万人の国会請願署名など、また、文化財保護法の史跡指定基準をも改正させて、1995年に国の史跡に指定、同年、暫定リスト入りし、1996年に世界遺産に登録されました。 過去5年間では、北海道の弟子屈町の商工会青年部の人たちを中心とする「摩周湖世界遺産登録実行委員会」の活発な活動など、その後も、全国各地で、世界遺産登録運動の声が次々とあがっています。当初は民間主導のものが多かったのですが、最近の傾向としては、県庁や市町村など行政主導のものが多くなっています。 山形県の「近未来やまがた・世界遺産育成プロジェクト」は、将来、山形県が世界遺産への登録を目指す育成候補地として「民間の山岳信仰文化が育んだ出羽三山等の文化財と風土」を2005年3月に選定し、世界遺産登録をめざしています。 また、群馬県の「旧官営富岡製糸場」は、日本の近代化の原点、発祥の地として、また、アジア諸国の産業発展に貢献した産業遺産を世界遺産にすることを目的にしています。2005年7月に国の史跡や2006年4月に国の重要文化財に、また、白砂川の河岸段丘に広がる山村養蚕集落であった六合村赤石地区が国の重要伝統的建造物群保存地区に指定されるなど、シアリアルな世界遺産登録に向けて着実に前進しています。 その他、福井県小浜市の「神仏習合と海民の聖地、若狭小浜」、奈良県明日香村の高松塚古墳やキトラ古墳などの「明日香村の文化遺産」、広島県尾道市の「尾道の文化遺産」、大阪府堺市にある日本最大の前方後円墳である「大仙(仁徳陵)古墳」、佐賀県伊万里市の佐賀鍋島藩の御用窯がおかれていた「大川内山」などが名乗りをあげています。 経済団体主導のものとしては、金沢経済同友会による「石川県に世界遺産を」、松本商工会議所の「松本城」、関西経済同友会の「大阪城と上町台地の遺産群」などがあります。 民間の有志によるものでは、四国八十八か所霊場会による「四国へんろ文化」、長崎県の「長崎の教会群を世界遺産にする会」、同じく、長崎県の端島の炭鉱遺産「軍艦島を世界遺産にする会」、熊本県の緑川流域の石橋群などの「肥後の石橋を世界遺産にする会」などの名前が挙がっています。 世界遺産の理念や考え方 これらの運動が、官民一体になれば、地方からの強力なパワーにつながると思いますが、忘れてはならないのは、「世界遺産条約」の理念や考え方です。世界遺産化は、結果的に地域振興にはなっても、本来、経済振興や観光振興を目的にするものではなく、人類にとってかけがえのない文化遺産や自然遺産を保存・保護することが重要であるとの観点から、国際的な協力および援助の体制を確立することが目的であり、未来世代に責任をもって継承していかなければならないものです。 推薦や登録をゴールとするのではなく、関係行政機関や地元住民などが同意一体となって、長期間にわたって保護管理しモニタリング(監視)にも尽力していく持続可能な協働(コラボレーション)がきわめて大切です。 従って、本来は、目先の利益や不利益などを論ずるべきものではありませんが、ユネスコの世界遺産になることによって、 第一に、世界的な保全意識が一層高まります。 第二に、郷土を誇りに思う心、ふるさとを愛する気持ちなど、地元、そして、その地域に住む人、働く人、学ぶ人、更には、世界遺産地出身の人達の心理に及ぼす意識が高まります。 第三に、世界的な関心、知名度、認識度の向上が図られます。 これらによって、観光入込み客数の増加、これに伴う観光収入の増加、雇用の増加、税収の増加など地元並び周辺の市町村にもたらされる広域的な地域振興効果や経済波及効果などが挙げられます。 世界遺産地の世界遺産登録前後の観光入込み客数の推移を分析してみると、最近では、「世界遺産登録をめざす」と新聞やテレビ等のマス・メディアが報じる話題性の段階から旅行商品の企画が始まり、新たな観光需要が創出されます。 それも、日光、京都、奈良、姫路、広島、宮島など観光地として既に成熟化している世界遺産地よりも、「知床」、「白神山地」、「白川郷・五箇山の合掌造り集落」、「紀伊山地の霊場と参詣道」、「屋久島」など過疎に苦しむ中山間地域において地域振興効果が高いことが観光統計にもあらわれています。 一方、新たに発生する可能性があるオーバー・ユース(過剰利用)などのツーリズム・プレッシャー(観光圧力)など、あらゆる脅威や危険に対応した危機管理を中長期的な保存管理計画に反映させておく必要があります。 具体的には、どこの観光地にも共通することですが、観光客のマナーの問題として、@禁止場所での喫煙、Aゴミの投げ捨て、B立小便、C自生植物の踏み荒らし、D 民家の覗き見など 受入れ側の問題として、@慢性的な交通渋滞、A道路標識の不案内、B現地ガイドの不足、C宿泊施設などの受入れ施設、 総体として、@自動車の排ガス、ゴミ、し尿などの環境問題、A新たな施設建設に伴う景観問題などが各地で表面化しています。 なかでも、景観問題は、国内外の世界遺産地で深刻化しています。例えば、ネパールの「カトマンズ渓谷」(文化遺産 1979年世界遺産登録)は2003年に、ドイツの「ケルン大聖堂」(文化遺産 1996年世界遺産登録)は、2004年に、その都市景観問題から、それぞれ「危機にさらされている世界遺産」(危機遺産)に登録されました。 「カトマンズ渓谷」の登録範囲は、パタンのダンバール広場など七つの遺産群から構成されていますが、無秩序な都市開発の為、その類いない建築デザインは、消失する危機にさらされています。 ケルン市のシンボルともいえる「ケルン大聖堂」(高さ157m)は、ライン川を挟んで対岸の高速新線ICEの駅周辺のRZVKタワー(高さ103m)などの超高層建設プロジェクトによって、世界遺産登録申請時のケルン大聖堂周辺の視界の完全性が損なわれることを理由に、危機遺産に登録されました。 ケルン市当局は、前例のない「世界遺産リスト」からの抹消など最悪の事態を回避するべく、市議会は他のビル建設を否決、ケルンの大聖堂の景観を守るバッファー・ゾーン(緩衝地域)の設定、最高60mまでの建物の高さ制限などの改善措置を講じ、2006年に「危機にさらされている世界遺産リスト」から解除されました。 ユネスコの危機遺産リストに登録されている物件は、現在、26の国と地域の31物件(830物件の3.7%)であり、危機遺産になった理由は、これまでは、風化や劣化など遺産自体が抱える固有の問題、地震などの自然災害、戦争や紛争などの人為災害がほとんどでしたが、都市開発や地域開発に伴う景観問題が危機リストに登録される理由になったのは、ここ最近の傾向です。 一方、国内の世界遺産地、京都市、宇治市や広島市などでも同様の問題が起こっています。京都市では、「古都京都の文化財」(京都市、宇治市、大津市)を構成する17社寺と城のうち、京都市の銀閣寺と宇治市の平等院鳳凰堂の周辺での新たなビル建設計画、広島市では、原爆ドームの周辺で建設中のビルに伴う世界遺産の景観に及ぼす脅威の問題です。 各物件に共通する問題点は、世界遺産登録申請時における核心地域(コア・ゾーン)と緩衝地帯(バッファー・ゾーン)の設定です。なかでも、バッファー・ゾーンの設定がなかったり、或は、範囲が狭かったり、或は、規制が緩いことを利用した新たな建築物の建設が問題を引き起こしています。 原爆ドームの場合も、広島市が景観条例を制定し、建物の高さや色、広告などのガイドラインを設けているものの、都市計画法や建築基準法上では問題ないといった矛盾が生じています。開発事業者の良識もさることながら、世界遺産地のコア・ゾーンとバッファー・ゾーンのあり方は、単に世界遺産登録申請の為のゾーニングではなく、世界遺産地の都市・建築関係法にもその考え方を反映し、実効性の高い法的担保措置を講じるべきであったと思います。 これらの問題点が解決され、保護と振興のバランスが図られ、持続可能な日本の地域づくりやまちづくりの発展につながれば、世界遺産登録運動は、新たな地域づくりやまちづくりの視点や手法としても、大変、有意義であると思います。 世界遺産登録を視野に、登録後に生じであろう諸問題を総点検し、事前対策と危機管理への対応策が必要です。 身近な自然環境や文化財について世界遺産の登録要件をどこまで満たしているか総点検してみてはどうでしょうか。世界遺産の可能性があるものを新たに発見できるかもしれません。 四国地方からユネスコ世界遺産を!! ユネスコの世界遺産の課題の一つとして、ヨーロッパ偏重など地域的バランスの解消があります。これは、わが国においても同様で、日本列島を構成する、北海道、本州、四国、九州等のうち、まだ、世界遺産がないのは、四国地方だけであり、国民的な待望論も強いものがあります。 四国地方にも、素晴らしい自然環境や文化財が残されています。例えば、瀬戸内海の越智諸島などの多島海景観、わが国で初めて海中公園に指定された宇和海日本三大カルストのひとつ四国カルスト、太平洋へと流れる四万十川、鳴門海峡の渦潮、徳島県、高知県、愛媛県、香川県の四県をつなぐ信仰の寺と道―「四国霊場八十八ヶ所と遍路道」、山岳宗教の修業場として名高い七霊山の一つ石鎚山、和歌山城や姫路城とともに日本三大連立式平山城として知られる松山城、国宝・重要文化財級の鎧や兜が数多く残っている大山祇神社、日本最古の温泉―道後温泉、内子町の重要伝統的建造物群保存地区、牡蠣や真珠養殖の筏(いかだ)、それに、みかんやオリーブ栽培の棚畑などの文化的景観、かつて銅の産出量世界一を誇った別子銅山の産業遺産など素晴らしい自然環境や文化財などです。 また、ユネスコは、別途、「無形文化遺産保護条約」に基づく世界無形文化遺産の選定にも力を入れています。これは、これまでに、「人類の口承及び無形遺産の傑作」として選定された「能楽」、「人形浄瑠璃文楽」、「歌舞伎」など90件が「無形文化遺産リスト」に移行、いずれ新しい物件も選ばれていいきます。従って、「伊予神楽」などの<日本の神楽>、「阿波踊り」などの<日本の祭り>なども将来的には有望な候補になるのではないかと思われます。 身近な自然環境や文化財について、世界遺産の登録基準や恒久的な保存管理措置など世界遺産になる為の要件を照合してみることによって、新たな価値の発見につながることがあります。世界の事例を検証してみると意外なものが評価されていたり、また、長年の地道な伝統文化の継承の努力が実を結んでいる事例も数多くあります。 「四国霊場八十八ヶ所と遍路道」のプロフィール 「四国霊場八十八ヶ所と遍路道」は、数ある日本の巡礼路の中で最も有名な巡礼の道です。巡礼する人を遍路と呼ぶことから、通称、「お遍路さん」の名でも親しまれています。 「四国霊場八十八ヶ所と遍路道」は、四国の徳島県(発心の道場23か所)、高知県(修行の道場16か所)、愛媛県(菩薩の道場26か所)、香川県(涅槃の道場23か所)の4つの県の四国霊場八十八か所を時計回りに巡る、弘法大師(空海)が、42歳(弘仁6年 815年)の時、修行し開かれたゆかりの霊場巡りで、伊予国温泉郡荏原村の長者衛門三郎が自分の非を悟り大師のあとを追って四国をまわったのが起源だといわれ、平安末期から南北朝の頃にかけて既に日本各地から四国を訪れていたといわれています。 四国霊場第1番札所は、徳島県の鳴門市にある天平年間に行基が開設した竺和山霊山寺で、四国霊場八十八か所を締めくくる結願の寺の第八十八番札所は、香川県の長尾町にある医王山大窪寺です。四国霊場八十八か所 (八十八の数は、八十八の煩悩を消滅させ、八十八の功徳を成就する意)の札所には、それぞれ、山号と寺名が付されており、空海の軌跡を辿る八十八か寺を結ぶ距離は、全長約1400kmにも及びます。 巡礼者は、白衣の装束をまとって、笈摺(おいずる)をつけ、菅笠をかぶり、手に金剛杖をもちます。御詠歌を歌い、鈴を鳴らして、札所と呼ばれる寺院を巡礼するのが習俗です。1本の金剛杖が弘法大師その人で、笠や杖に「同行二人」と記して、弘法大師と二人連れで巡り歩く、信仰を深め功徳を積むための修行の旅です。 「四国霊場八十八ヶ所と遍路道」の道筋には、善根宿や接待宿と称して、遍路に一夜の宿を無償で提供したり、接待といって食物や金銭を遍路に喜捨したりして、功徳を施し善根を積む、心暖まるもてなし習俗が生まれていきました。一生のうちに一度はと思いながら、都合によりなかなか数多い日程の遍路には出かけられないことから、「四国霊場八十八ヶ所と遍路道」は、千年も前から、庶民の憧れの旅で、現在の「旅行」のはじまりでもありました。 「四国霊場八十八ヶ所と遍路道」は、時が経ても変わらず人の心を癒し続ける日本の心に出会う旅です。伝統ある「四国霊場八十八ヶ所と遍路道」巡りの旅は、現代人の人間性回復の場となっており、今も、全国からの巡礼者(年間30〜40万人)が、この地を訪れています。 世界遺産化の意義と地域波及効果 21世紀のわが国の国土づくりのなかで、県境や市町境を越えた共通の概念での地域づくり、すなわち、地域連携軸を形成していく重要性が強調されているなかで、古くから全国的な参拝者の心を繋いだ「四国霊場八十八ヶ所と遍路道」は、地域づくりの視点からも、四国の四つの県を環状、或は、循環線状に繋ぐ貴重な歴史・文化資源であり、また、重要な観光資源と位置づけることができます。 「四国霊場八十八ヶ所と遍路道」地域の概要 <位 置> 「四国霊場八十八ヶ所と遍路道」は、日本列島の南西に位置する四国地方を構成する徳島県、高知県、愛媛県、香川県の4県にまたがって点在する四国霊場八十八か所を要所として結んでいます。 <地 勢> 四国は、東は、鳴門海峡、紀伊水道を隔てて近畿地方と、西は、豊予海峡、豊後水道を隔てて九州地方と、北は、瀬戸内海を隔てて中国地方と対し、南は、太平洋に面しています。 <自 然> 四国は、中央を東西に四国山地が走り、北は穏やかな瀬戸内海、南は雄大な太平洋に面するなど、変化に富んだ美しい自然をもっており、瀬戸内海国立公園、足摺・宇和海国立公園、剣山国定公園、石槌国定公園、室戸・阿南海岸国定公園、国営讃岐まんのう公園にも指定されています。 <歴 史> 四国は、2000年の長きに亘って培われてきた価値ある歴史的文化遺産を数多く有しており、これら文化遺産を道路網等で結び、誰もが、容易に歴史・文化に触れ親しむ環境を作り出す「歴史・文化道」の整備を官民一体となって進めています。 <風 土> 四国は、古くから、奈良の都に繋がる南海道や海上交通の大動脈である瀬戸内海などによって、各地と盛んな交流を行い、豊かな文化を育むと共に、「四国霊場八十八ヶ所と遍路道」に代表される様に、訪れる人に心の安らぎを感じさせる独自の風土を生み出している。また、阿波おどりをはじめ伝統あるエネルギッシュな祭りも数多く、更に、明治維新など時代の節目には、日本を動かす幾多の歴史的人物を生み出しています。 <人 口> 四国は、人口が412万人(日本の人口の3.2%)。四国霊場八十八か所が所在する26市11町の市町村の人口は、51番札所の石手寺等がある51.5万人の松山市(愛媛県)から、27番札所の神峯寺がある3.3千人の安田町(高知県)まで多様、中山間地域が多く、人口の減少、過疎化・高齢化が進んでいます。 <気 候> 北四国は、瀬戸内海型の気候で、温暖少雨型で、台風などの気候災害も少ないが、南四国は、太平洋型の南海型気候で、夏は、高温多湿のうえに台風がまともに豪雨をもたらします。 「四国霊場八十八ヶ所と遍路道」の「顕著な普遍的価値」 「四国霊場八十八ヶ所と遍路道」は、弘法大師空海(774〜835年)が開創した四国霊場八十八か所をはじめ、大師ゆかりの足跡を残したところが少なくありません。唐の長安で、恵果という高僧から真言の教えを受けて日本に帰り、高野山に金剛峰寺を建て、真言宗を広めた空海は、比叡山に延暦寺を建てて天台宗を広めた最澄と共に、日本では、学校の教科書でも習うあまねく知られた人物です。 これらの仏教は、学問の研究が中心であった奈良時代の仏教とは違い、山奥での厳しい修行を重んじました。また、仏の力で、国の平安を守り、人々の願いも叶えようと、祈りやまじないを行ったので、迷信に縛られて暮らす貴族にも広まっていきました。 また、空海は、宗教家としてだけではなく、あらゆる面で、平安時代の初期文化を代表する文化人でした。書は、当時の日本で、嵯峨天皇と橘逸勢と共に三筆と称えられ、絵や彫刻も巧みで、優れた学者でもありました。 そのころの学校は、貴族だけのもので、一般の人は勉強することができませんでした。空海は、京都に綜芸種智院という学校を建てて、広く、人々に学問を教えた。また、堤防を築いたり、満濃池(香川県満濃町)などの灌漑用の溜め池(日本で最古・最大)を造ったりして、農民の為に尽くしました。 四国霊場八十八か所は、実際には、平安中期以降に、弘法大師信仰が盛んになってから霊場に定められたといわれています。 また、遍路がきわめて盛んになった江戸中期以降、四国霊場八十八ヶ所を模したものが、小豆島、江戸、西国(京都付近)をはじめ、全国各地に出来、大師信仰の全国的な普及を物語っています。 「四国霊場八十八ヶ所と遍路道」は、四国のすばらしい自然景観に接し、また、人々とのふれあいの温かさに感謝し、生きている喜びと生かされている喜びを感じ、身も心もリフレッシュさせ、生まれ変われる歴史文化道です。 また、「四国霊場八十八ヶ所と遍路道」に関する文献も、江戸時代の賢明の「四国霊場御巡行記」や真年の「四国霊場記」をはじめ、近年も、四国霊場に関する研究や遍路の記録も数多く出版されており、テレビやビデオなどの映像でも、しばしば、紹介されています。 「四国霊場八十八ヶ所と遍路道」のユネスコ世界遺産の登録基準への該当性 ユネスコが定める世界遺産の登録基準の概要は下記の通り、10の登録基準があります。「四国霊場八十八ヶ所と遍路道」は、どの登録基準に該当するのか早急に検討し、各々の登録基準の適用根拠を明らかにしなければなりません。 「四国霊場八十八ヶ所と遍路道」の考え方に近い物件としては、「サンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路」があげられます。この物件は、スペイン側(Route of Santiago de Compostela)が、1993年にフランス側(Routes of Santiago de Compostela)が、1998年にユネスコ世界遺産に登録されました。これらのグループに属する物件と保護・保全の状況も含め比較分析してみるとわかりやすいと思います。 「四国霊場八十八ヶ所と遍路道」の恒久的な法的保護と管理措置 世界遺産としての価値を将来にわたって継承していく為に、文化財保護法などによる恒久的な法的保護や世界遺産地域管理計画などによる管理措置、すなわち、適切な立法措置、人員確保、資金準備及び管理計画などが講じられているかどうかです。 「四国霊場八十八ヶ所と遍路道」については、顕著な普遍的価値はあるものの、これに関わる史跡、建造物、名勝等の文化的価値と恒久的な保護・保全管理措置を国レベルに高めていく必要があります。国指定の国宝や重要文化財の数が少ない様に思われます。 「四国霊場八十八ヶ所と遍路道」の世界遺産登録の可能性 今後、「四国霊場八十八ヶ所と遍路道」のユネスコ世界遺産登録を進めていくことが有効かどうかは、様々な利害が錯綜しますが、「四国霊場八十八ヶ所と遍路道」は、きわめてユニークな物件であり、世界遺産登録は可能だと思います。 いずれにしても、地道で、かつ、時間のかかる作業を伴います。地元の熱意を全国的、そして、世界的に認知させていく努力が必要だと思います。 様々な仕掛けやアピールしていく方法を考えていかなければなりませんが、単に、国内的なものだけではなく、地球市民として、「四国霊場八十八ヶ所と遍路道」を人類共通の財産として守っていく必要性があることを訴えていく必要があります。その為には、国内外のより多くの共鳴者を取り込んでいくことが重要です。 先行き不透明で、何を信じて良いのか不安な時代、現代人の多くが精神的な拠り所を模索し、信仰、祈りの対象も多様化しているなかで、「四国霊場八十八か所」や「紀伊山地の霊場と参詣道」を巡る心の旅、安らぎの旅が、今、静かなブームになりつつあり、時代背景としても良い案件なのではないかと思います。 但し、「四国霊場八十八ヶ所と遍路道」を弘法大師ゆかりの資産として把えた場合、高野山(和歌山県)との関係をどのように調整するのかといった問題があります。弘法大師(空海)が真言密教の修行道場として開創した、膨大な密教芸術の文化財を誇る高野山は、既に、2004年の「紀伊山地の霊場と参詣道」として世界遺産リストに登録され、登録範囲に含まれています。 また、「四国霊場八十八ヶ所と遍路道」を四国霊場八十八ヶ所に限定するのか、或は、遍路上の石槌山、屋島、五色台、屏風ガ浦、阿波の土柱、室戸岬、足摺岬などの景勝地、それに、満濃池など大師ゆかりの物件も含めるのか、それとも、段階的に、登録遺産の範囲を拡げていくのか等の登録上の戦略が必要です。 四国の活性化という視点でも、「四国霊場八十八ヶ所と遍路道」の世界遺産登録に向けての取組みは、香川、愛媛、高知の4県のアイデンティティーを高めていく格好のテーマです。 四国いやしの文化〜四国霊場八十八ヶ所と遍路道〜世界遺産登録の実現に向けて ○四県推進協議会の早期設置 4県の県庁レベルの協議会を早急に組成することが必要です。 例示 世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」三県協議会 〃 富士山世界文化遺産登録推進両県合同会議(静岡県・山梨県・市町村) ↑ 2005年12月19日設置 静岡県世界文化遺産登録推進協議会(県・市町) 2005年11月22日設置 「富士山世界文化遺産登録」山梨県推進協議会(県・市町村) 2005年11月22日設置 ○暫定リスト素案(検討資料)作成への早期着手 ユネスコ世界遺産に登録される為には、日本政府の推薦が前提になる。第一段階として、暫定リスト提出書式<TENTATIVE LIST SUBMISSION FORMAT>【資料2】に記入しなければならない必要事項の要件、第二段階として、世界遺産登録に向けての物件の推薦書式<FORMAT FOR THE NOMINATION FOR INSCRIPTION ON THE WORLD HERITAGE LIST>【資料3】のすべてを満たしていく必要があります。 <文化庁への暫定リストへの追加資産としてふさわしい旨の提案> 2006年9月26日 第1回世界文化遺産特別委員会の開催。 暫定リストへの追加等に関する手続きの明確化と審査基準の 策定。【資料1】 2006年9月28日 全国の地方自治体向けの説明会を開催。 2006年10月〜11月末 暫定リストへの追加資産について、資産の所在する都道府県 及び市町村からの提案を受け付ける。 2007年1月 暫定リストへの追加資産(第一弾)を同特別委員会で選定し、 文化財分科会の了承を得る。 2007年2月1日まで 暫定リストへの追加をユネスコ世界遺産委員会へ申請。 2007年6月 ユネスコ世界遺産委員会において、暫定リストを決定。 2007年度以降 数年間にわたり、毎年度選定。 1.資産名称 例示 四国霊場八十八ヶ所と遍路道(英語表記) The 88 Sacred Sites and Pilgrimage Routes of Sikoku Region The 88 Holy Sites and Pilgrimage Routes of Sikoku Region 〃 「四国霊場八十八ヶ所と遍路道」の文化的景観(英語表記) The Cultural Landscape of ………… 参考 紀伊山地の霊場と参詣道 Sacred Sites and Pilgrimage Routes in the Kii Mountain Range サンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路 Route of Santiago de Compostela 2.概要<例示> 四国霊場八十八ヶ所と遍路道は、四国地方の4県にまたがる四国霊場八十八ヶ所とこれらの札所を環状に結ぶ世界的にも珍しい遍路道からなる。八十八の数字は、八十八の煩悩を消滅させ、八十八の功徳を成就するという意味である。遍路道は、「発心」、「修行」、「菩提」、「涅槃」の4段階の道程で、その全長は約1400kmにも及び、石鎚山や瀬戸内海などの自然景観も美しい。弘法大師の入定後、弟子や修行僧が、ゆかりの地を巡拝したのが始まりで、江戸時代に入って大衆化した。「お遍路さん」と呼ばれる巡礼者が、白い衣装と道具で、八十八ヶ所の札所を独特の慣習で参拝する。四国霊場八十八ヶ所と遍路道は、「同行二人」による仏道修行の信仰の場所や道として、全国からの巡礼者が絶えず、周辺の自然環境と共に独特の文化的景観を呈している。四国霊場八十八ヶ所と遍路道は、その長い歴史のなかで、巡礼者と地元の人との心の交流を示す「お接待」など独自の遍路文化を形成した。遍路文化は、四国地方の長年の歴史と風土が生み出した、「顕著な普遍的価値」を有する有形と無形の文化が見事に融合した類いない事例である。 ※登録遺産を網羅した世界遺産にふさわしい「顕著な普遍的価値」を証明する20分程度の英語による映像があれば、外国人向けのプレゼンテーションに効果的です。「四国霊場八十八ヶ所と遍路道」の映像の背景音楽には、どんなものがふさわしいのかを考えてみると、遍路文化の歴史・風土がきこえてきます。 3.顕著な普遍的価値の証明 (1) 資産の適用種別と登録基準への該当性 〔資産の適用種別〕 ○ 文化遺産 <記念工作物> 建築物、記念的意義を有する彫刻及び絵画、考古学的な性質の物件及び構造物、金石文、洞穴住居並びにこれらの物件の組合せであって、歴史上、芸術上、または、学術上、顕著な普遍的価値を有するものです。 <建造物群> 独立した建造物の群、または、連続した建造物の群であって、その建築様式、均質性、または、景観内の位置のために、歴史上、芸術上、または、学術上、顕著な普遍的価値を有するものです。 <遺跡> 人間の作品、自然と人間との共同作品及び考古学的遺跡を含む区域で、歴史上、芸術上、民俗学上、または、人類学上、顕著な普遍的価値を有するものです。 <文化的景観> 文化遺産の中に、文化的景観(Cultural Landscape)という概念に含まれる物件がある。文化的景観については、「世界遺産条約履行の為の作業指針」の第47パラグラフで次の様に定義づけられています。 「文化的景観は、文化的資産であって、世界遺産条約第1条のいう『自然と人間との共同作品』に相当するものである。人間社会、または、人間の居住地が、自然環境による物理的制約の中で、社会的、経済的、文化的な内外の力に継続的に影響されながら、どのような進化をたどってきたのかを例証するものである。」 この様に、文化的景観は、文化遺産と自然遺産との中間的な存在ですが、現在のところ、文化遺産として、分類されています。 「文化的景観」は、1992年12月にアメリカのサンタフェで開催された第16回世界遺産委員会で、今後、拡大していくべき分野の一つとして、「産業遺産」や「20世紀の建築物」と共にグローバル・ストラテジー(世界戦略)に位置づけられ、「世界遺産条約履行の為の作業指針」に新たに加えられたもので、次の3種に大別されます。 @ 意匠された景観………公園、庭園 人類によって意図的に意匠、創造されたことが明らかな景観。 A 有機的に進化してきた景観………みかん畑、オリーブ畑、棚田などの農業景観や田園景観 長い時間の中で形成されてきた伝統的な土地利用の地域や遺跡などと一体となっ て残存する景観。 B 関連する景観 自然的要素が強い宗教、文学、芸術活動などの事象と関連する景観。 文化的景観は、世界遺産の新たな候補物件の選考対象として注目されている概念で、日本でも、平成17年の「文化財保護法」の改正で、新たな文化財のジャンルとして、「重要文化的景観」が加わりました。わが国のこれまでの文化財の範疇では、庭園、峡谷、海浜、山岳などの名勝や天然記念物がこの概念に近いものです。 〔世界遺産の登録基準への該当性〕 (i) 人類の創造的天才の傑作を表現するもの。 (ii)ある期間を通じて、または、ある文化圏において、建築、技術、記念碑的芸術、 町並み計画、景観デザインの発展に関し、人類の価値の重要な交流を示すもの。 (iii)現存する、または、消滅した文化的伝統、または、文明の、唯一の、または、 少なくとも稀な証拠となるもの。 (iv)人類の歴史上重要な時代を例証する、ある形式の建造物、建築物群、技術の集積、 または、景観の顕著な例。 (v) 特に、回復困難な変化の影響下で損傷されやすい状態にある場合における、ある 文化(または、複数の文化)を代表する伝統的集落、または、土地利用の顕著な例。 (vi)顕著な普遍的な意義を有する出来事、現存する伝統、思想、信仰、または、芸術 的、文学的作品と、直接に、または、明白に関連するもの。 (vii)もっともすばらしい自然的現象、または、ひときわすぐれた自然美をもつ地域、 及び、美的な重要性を含むもの。 (viii)地球の歴史上の主要な段階を示す顕著な見本であるもの。これには、生物の記 録、地形の発達における重要な地学的進行過程、或は、重要な地形的、または、 自然地理的特性などが含まれる。 (ix)陸上、淡水、沿岸、及び、海洋生態系と動植物群集の進化と発達において、進行 しつつある重要な生態学的、生物学的プロセスを示す顕著な見本であるもの。 (x) 生物多様性の本来的保全にとって、もっとも重要かつ意義深い自然生息地を含 んでいるもの。これには、科学上、または、保全上の観点から、すぐれて普遍的 価値をもつ絶滅の恐れのある種が存在するものを含む。 (2) 完全性・真正性の証明 真正性(「世界遺産条約履行のための作業指針」第82パラグラフ) 文化遺産の種類、その文化的文脈によって一様ではありませんが、資産の文化的価値(登録推薦の根拠として提示される価値基準)が、下記に示すような多様な属性における表現において、真実、かつ、信用性を有する場合に、真正性の条件を満たしていると考えられます。 ●形状、意匠 ●材料、材質 ●用途、機能 ●伝統、技能、管理体制 ●位置、セッティング ●言語その他の無形遺産 ●精神、感性 ●その他の内部要素、外部要素 完全性(「世界遺産条約履行の為の作業指針」第88パラグラフ) 完全性は、自然遺産及び/または、文化遺産とそれらの特質のすべてが無傷で包含されている度合いを測るための物差しです。従って、完全性の条件を調べるためには、当該資産が以下の条件をどの程度満たしているかを評価する必要があります。 ●「顕著な普遍的価値」が発揮されるのに必要な要素が全て含まれているか、 ●当該資産の重要性を示す特徴を不足なく代表するために適切な大きさが確保され ているか、 ●開発及び/または管理放棄による負の影響を受けていないか、 です。 (3) 類似資産との比較 「サンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路」、「紀伊山地の霊場と参詣道」などとの違いを明らかにする必要があります。「紀伊山地の霊場と参詣道」とは、霊場と参詣道ということで同類ですが、半島と島との立地、環状型、或は、循環型の参詣ルート、「発心」、「修行」、「菩提」、「涅槃」、「お遍路」、「同行二人」、「お接待」、「遍路文化」など独自の言葉、慣習、文化の違いなどを明らかにする必要があります。 (4) 世界遺産の登録範囲 ○ 核心地域(コアゾーン:Core Zone) 世界遺産リストに登録されている遺産で、当該国の法等により保護が担保されている必要があります。日本では、文化遺産は、文化財保護法等によって保護されています。 ○ 緩衝地帯(バッファー・ゾーン:Buffer Zone) 世界遺産の効果的な保護を目的として、核心地域を取り囲む地域に法的、または、習慣的手法により補完的な利用、開発規制を敷くことにより設けられた法の網で、重要な景色やその他の資産の保護を支える重要な機能を持つ地域、または、特性が含まれます。 「紀伊山地の霊場と参詣道」の場合は、文化財保護法、自然公園法、河川法、森林法、都市計画法、県立自然公園条例、市町の環境保全条例により保護されています。 (5)「四国霊場八十八ヶ所と遍路道」の保存と管理 1.世界遺産の保護・管理 ○法的保護 ○保存管理計画 2.世界遺産の構成資産である史跡等とその周辺環境の構成要素 3.コア・ゾーンの保存・管理の方法 (1)史跡等の保存・管理 @交通関連遺跡 A社寺関連遺跡 B自然的名勝地 C動植物種・地質鉱物(天然記念物) 4.周辺地域の保存・管理 @自然的要素 A人文的要素 ○世界遺産登録に向けての環境整備 上記の世界遺産登録に向けて必要な登録要件の法的担保措置、長期的な保存管理計画の策定、地元の総意と気運の醸成が必要です。 1.登録範囲の確定作業。 2.国の史跡、国宝、重要文化財、重要文化的景観等の新たな指定。 3.景観条例、環境条例等の制定。 4.長期的な保存管理計画の策定。 5.「四国霊場八十八ヶ所と遍路道」憲章の制定。 6.「四国霊場八十八ヶ所と遍路道」ルールの制定。 7.標識、案内図等の4県統一のユニバーサル・デザインの採用。 8.地元の総意と気運の醸成。 9.行政と住民との協働会議の組成。 10.徳島県世界遺産条例」(登録後)の制定。 【著者プロフィール】 古田 陽久(ふるた・はるひさ) 世界遺産総合研究所所長 専門分野は、世界遺産論、危機遺産論、日本の世界遺産、世界無形文化遺産研究、文化人類学、比較文明学、国際観光学、国際理解教育など。1974年慶応義塾大学経済学部卒業、同年、日商岩井株式会社入社、1989年同社退社。1990年シンクタンクせとうち総合研究機構を設立、「世界遺産学」を提唱し、1998年世界遺産総合研究所を設置、所長兼務。最近では、世界文化遺産に向けての「富士山シンポジウム2006」、「2006年日豪交流年(YOE)事業」への参画、「第30回世界遺産委員会ヴィリニュス会議」への参加など、全国的、国際的に展開している。著書は、「世界遺産学のすすめ−世界遺産が地域を拓く−」、「世界遺産データ・ブック」、「世界遺産事典」、「世界遺産Q&A」「世界遺産ガイド」シリーズ、「誇れる郷土ガイド」シリーズなど多数。 住所:広島市佐伯区美鈴が丘緑三丁目4番3号 TEL: 082-926-2306 E-mail:wheritage@tiara.ocn.ne.jp URL: http://www.wheritage.net 本稿は、2006年10月24日実施の世界遺産セミナー2006「四国いやしの文化〜四国霊場八十八ヶ所と遍路道〜世界遺産登録の実現に向けて」の講演要旨をまとめたものです。 |