富士山シンポジウム2006

基調講演






世界遺産の現状と日本の課題
〜日本の宝を世界の宝へ〜


 

 只今、ご紹介頂きました世界遺産総合研究所の古田陽久です。本日のシンポジウムに参加できましたことを、大変、光栄に思っております。

 私は、広島に住んでおりまして、富士山との関わりは、新幹線や飛行機からの遠景の富士山であります。

 

 日本人として、美しい国日本の象徴である富士山を誇りに思ってきた一人であり、富士山が世界遺産になることを望んでいる富士山ファンの一人でもあります。

 

 本日のシンポジウムでは、富士山の世界遺産登録の実現に向けて、

「世界遺産の現状と日本の課題」について話せということでありますので、世界遺産の研究者の一人として、これまでの経緯などを整理してお話したいと考えています。

 

 さて、私は、今年の7月に、バルト三国の一つであるリトアニアの首都ヴィリニュスで、第30回世界遺産委員会が開催され、オブザーバーとして参加しました。

 

 今回新たに、中国の「四川省のジャイアントパンダの自然保護区」や「殷墟」、メキシコの「テキーラのアガベの景観」など厳選された18の物件が、ユネスコの「世界遺産リスト」に登録され、世界遺産の数は138か国にまたがる830になりました。

 

世界遺産の種類別では、世界的に「顕著な普遍的価値」を有する遺跡、建造物群、モニュメントなどの文化遺産が644件、同じく世界的に顕著な普遍的価値を有する自然景観、地形・地質、生態系、生物多様性などの自然遺産が162件、文化遺産と自然遺産の両方の登録基準を満たす複合遺産が24件です。 

 

世界遺産は、1972年に採択された「世界遺産条約」とそのオペレーショナル・ガイドラインに準拠しています。

 

世界遺産条約の目的は、人類全体のための宝として、破壊、損傷などあらゆる脅威から守り、未来世代に継承していくことが必要で、国際的な協力および援助の体制を確立することにあります。

 

 従って、世界遺産リストに登録することが目的ではなく、世界遺産地は、世界遺産登録後も国際的な監視下におかれます。世界遺産委員会では、緊急的な救済や保護管理措置が必要なものについては、「危機にさられている世界遺産リスト」に登録される運びになり、現在、26か国の31物件が登録され、全世界遺産の3.7%を占めています。

 

 世界遺産を取り巻く危険や脅威は、地震、津波、ハリケーンなどの自然災害に起因するものと、戦争、紛争、無秩序な開発行為などの人為的なものに大別されます。前者では、大地震による損壊を受けたイランの「バム城塞の文化的景観」などが、また、後者では、戦乱による被害を受けたアフガニスタンの「バーミヤン渓谷の文化的景観と考古学遺跡群」などが、世界遺産登録時の真正性や完全性が損なわれる原因や理由で危機リストに登録されています。

 

世界遺産を取り巻く脅威や危険の内容も年々多様化し深刻化しています。地球規模のものでは、地球温暖化によって、ネパールの「サガルマータ国立公園」の氷河溶解、オーストラリアの「グレート・バリア・リーフ」の珊瑚礁の白化現象、イタリアの「ヴェネチア」の海面上昇など多くの世界遺産地に深刻な影響が表れつつあり、今回の世界遺産委員会では、グローバル・ストラテジーとして、「世界遺産と気候変動に関する戦略」も採択されました。

 

また、近年の新たな傾向として、都市景観問題やツーリズム・プレッシャーによる世界遺産への脅威が挙げられます。一昨年にドイツの「ケルンの大聖堂」がライン川を挟んだ対岸の超高層ビルの建設に伴う景観問題から危機リストに登録され、前代未聞となる世界遺産リストからの抹消も懸念されました。ドイツとケルン市は、懸命な努力によって、計画を大幅に縮小させるなどケルンの歴史的な都市景観を守り危機状況は脱しました。

 

一方、同じくドイツの「ドレスデンのエルベ渓谷」が今年、危機遺産リストに登録されました。エルベ川に橋を架けるドレスデン市の都市計画が、18世紀から19世紀の最盛期の面影を留める文化的景観に深刻な影響を与えるとして、世界遺産委員会は、計画が遂行される場合には、世界遺産リストからの抹消を前提条件にしています。

 

次に日本の世界遺産についてお話しましょう。

日本の世界遺産は、「知床」、「白神山地」、「屋久島」の3件の自然遺産、「日光の社寺」、「白川郷・五箇山の合掌造り集落」、「古都京都の文化財」、「法隆寺地域の仏教建造物」、「古都奈良の文化財」、「紀伊山地の霊場と参詣道」、「姫路城」、「原爆ドーム」、「厳島神社」、「琉球王国のグスク及び関連遺産群」の10件の文化遺産の合計13件です。  

 

今後、世界遺産リストに登録する候補物件としての暫定リストには、現在、「古都鎌倉」、「彦根城」、「平泉の文化遺産」、「石見銀山遺跡とその文化的景観」の4物件が登録されています。  

 

このうち、「石見銀山遺跡」については、今年の1月に、ユネスコが世界遺産登録申請書類を受理、来年、ニュージーランドで開催される第31回世界遺産委員会クライスト・チャーチ会議で登録の可否が決まります。

 

「平泉の文化遺産」についても、再来年の世界遺産登録をめざして、来年の2月1日までに、「平泉―浄土思想を基調とする文化的景観」として、ユネスコに推薦書類が提出されます。

 

 また、今後、暫定リスト入り、そして、正式な世界遺産登録が期待されるのは、自然遺産関係では、東洋のガラパゴスにもたとえられる「小笠原諸島」、それに、南西海域に展開する「琉球諸島」の2物件です。

 

自然遺産に関しては、3年前に、環境省と林野庁によって、「世界自然遺産候補地に関する検討会」が開催され、詳細に検討すべき地域として、まず、「富士山」を含む19地域が選定され、「知床」、「大雪山と日高山脈を統合した地域」、「飯豊・朝日連峰」、「九州中央山地周辺の照葉樹林」、「小笠原諸島」、「琉球諸島」の6地域を抽出、世界遺産の登録基準に該当する可能性が高い地域として、「知床」、「小笠原」、「琉球諸島」の3地域を選定、小笠原、琉球諸島については、保護管理措置等の条件が整い次第、推薦書類の提出をめざす方針を出しています。

 

従って、自然遺産の暫定リスト候補としては、必然的に、「小笠原」、「琉球諸島」になるわけです。

 

一方、文化遺産に関しては、6年前に開催された文化財保護審議会で、「暫定リスト」への追加対象として、「平泉の文化遺産」、「紀伊山地の霊場と参詣道」、「石見銀山遺跡」の3物件を選定しました。

 

 また、その際に、「今後の調査研究や保護措置などの状況によって、将来的に候補物件を追加することを検討することが必要とし、例えば、富士山は古来より霊峰富士として、富士信仰が伝えられると共に、遠方より望む秀麗な姿が多くの芸術作品の主題となるなど、日本人の信仰や美意識などと深く関連しており、また、今日に至るまで人々に畏敬され、感銘を与え続けてきた日本を代表する名山であり、「顕著な普遍的価値」を有する文化的景観として評価することができると考えられる。富士山のこのような面については、今後、多角的、総合的な調査研究の一層の深化とともに、その価値を守るための国民の理解と協力が高まることを期待し、できるだけ早期に世界遺産に推薦できるよう強く希望する」との見解を示しています。

 

富士山をユネスコ世界遺産に登録する為の手順としては、まず、この「暫定リスト」にノミネートされることが必要です。すなわち、日本政府が、富士山は世界遺産にふさわしいということを認知し、政府推薦することが前提になります。

 

文化遺産関係については、「紀伊山地の霊場と参詣道」の世界遺産登録が一昨年に実現し、「石見銀山遺跡」、「平泉の文化遺産」の世界遺産登録に向けての道筋もつき、残りは、「古都鎌倉」、「彦根城」の2つ、文化庁は、新たな暫定リスト追加物件を選定しなければならない状況にあります。

 

日本が世界遺産条約を締約したのは1992年であり、世界遺産の数も世界的に見ると15位、暫定リストへの登録物件数も、イタリア、スペイン、中国、ドイツ、フランス、イギリスなどの上位国と比較して見劣りがし世界遺産登録への積極的な意欲と暫定リストの充実が必要な状況にあります。

 

この様なことから、文化庁は、本年9月の文化審議会において、「世界文化遺産特別委員会」を設置、「暫定リスト」への追加等に関する手続きの明確化と審査基準を策定した上で、今月から来月末にかけて、暫定リストへの追加資産について、資産の所在する地方公共団体からの提案を受け付け、来年1月に開催される世界文化遺産特別委員会で、暫定リストへの追加資産を選定、文化財分科会の了承を得、来年の2月1日までに、ユネスコの世界遺産委員会に申請する運びになっています。これは、一過性のものではなく、来年度以降、数年間にわたり、毎年度選定されると聞いています。

 

わが町、わが地域の誇れる自然環境や文化財の世界遺産登録をめざす運動は、検討段階のものも含めると全国で約50近くあり、その活動は、年々、活発化しています。

 

全国各地での世界遺産登録運動のねらいや思惑は色々ですが、世界遺産になる為の登録要件など、国際的な評価基準にあてはめて、その真正性や完全性を検証してみることは、結果はどうであれ、決して無駄な作業にはならないと思います。  

 

世界遺産になる為の要件としては、

 

第一に、世界的に顕著な普遍的価値を有し、同分野を代表する比類ないものかどうかです。

第二に、世界遺産の登録基準の10ある基準のうち一つ以上、満たしていなければなりません。

第三に、恒久的な保護管理措置が法律的にも、また、計画的にも、担保されているかどうかです。  

 

地域遺産の世界遺産登録を考えること、また、それに向けての活動は、まさに、真の地域づくり、まちづくりそのものです。  

 

世界遺産登録運動のさきがけは、静岡県と山梨県にまたがる「富士山」だと思います。   

 

富士山の世界遺産登録運動は、1992年にわが国がユネスコの世界遺産条約を締約した頃に、地元の熱心な市民や自然保護団体の方々を中心に「富士山を世界遺産(世界自然遺産)とする連絡協議会」を結成、246万人の署名を得て、1994年には「富士山の世界遺産リストへの登録に関する請願」として国会請願の段階にまで達しました。  

 

しかし、「富士山の世界遺産化については、ごみやし尿など環境保全の対策に問題がある」との指摘があり、富士山を世界遺産にする旨の政府推薦はなされませんでした。  

 

昨年の4月に「富士山を世界遺産にする国民会議」も設立され、富士山の文化的景観を世界遺産にするべく、文化遺産登録をめざして、静岡県と山梨県の両県を中心に仕切り直しの動きが活発になっています。  

 

文化的景観とは、人間と自然との共同作品で、人間と自然環境との相互作用の様々な表現を意味し、自然環境との共生のもとに継続する内外の社会的、経済的及び文化的な力の影響を受けつつ、時代を超えて発展した人間社会と定住の証拠となるもので、大きくは、

 

一つは、人間によって設計され意志的に創り出された庭園、公園などの景観

二つは、農林水産業などの産業と関連した景観など有機的に進化してきた棚田などの景観

三つは、信仰や宗教、文学、芸術活動などと関連する聖山などの景観

 

の3つのカテゴリーに分類することができます。

 

 富士山の場合、基本的には、第3カテゴリーの信仰や宗教、文学、芸術活動などと関連する景観に該当すると思います。

 

また、第2カテゴリーの農林水産業などの産業と関連した景観、富士山でいえば、山麓の茶畑、みかん畑、或は、わさび畑など有機的に進化してきた景観の可能性もあると思います。

 

現在、静岡県・山梨県両県の学術委員会で、登録遺産名、文化的価値のストーリーと構成要素、該当する登録基準、登録範囲などの事項について検討されており、来月開催される両県の合同会議で、暫定リスト案を検討し、内容を決定すると伺っております。

 

世界遺産は、推薦や登録をゴールとするのではなく、関係行政機関や地元住民などが同意、一体となって、長期間にわたって保存管理し監視活動にも尽力していく持続可能なコラボレーションがきわめて大切です。 すなわち、富士山の世界遺産登録は、世界の遺産としての長期的な保存に向けてのスタートなのです。

 

従って、本来は、目先の利益や不利益などを論ずるべきものではありませんが、ユネスコの世界遺産になることによって、  

 

第一に、世界的な保全意識が一層高まる。  

第二に、郷土を誇りに思う心、ふるさとを愛する気持ちなど、世界遺産がある町に住む人、働く人、学ぶ人、更には、世界遺産地出身の人達の心理に及ぼす意識が高まる。  

第三に、世界的な関心、知名度、認識度の向上が図られます。  

 

これらによって、観光入込み客数の増加など地元並びに周辺の市町村にもたらされる広域的な地域振興効果や経済波及効果などが挙げられます。

 

一方、新たに発生する可能性があるオーバー・ユースなどの観光圧力など、あらゆる脅威や危険に対応した危機管理を中長期的な保存管理計画に反映させておく必要があります。  

 

具体的には、どこの観光地にも共通することでもありますが、観光客のマナーの問題として、@ 禁止場所での喫煙、A ゴミの投げ捨て、B 立小便、C 自生植物の踏み荒らし、D 民家の覗き見などが、   

 

受入れ側の問題としては、@ 慢性的な交通渋滞、A 道路標識の不案内、B現地ガイドの不足、C 宿泊施設などの受入れ体制などが、 

 

総体として、@ 自動車の排ガス、ゴミ、し尿などの環境問題、A 新たな施設建設に伴う景観問題などが各地で表面化しています。  

 

世界遺産登録後の世界遺産の利活用のあり方も共通課題です。多くの世界遺産地の行政が力点を置くのが、地域振興にもつながる観光振興です。「世界遺産効果」として、知名度や認知度が高まる為、観光客数は必然的に増えます。日光」や宮島などの成熟化した観光地よりも「白川郷・五箇山」や「紀伊山地」などの過疎・中山間地域の方が観光入込み客数増加率などの波及効果は大きい様に思います。

 

昨年、自然遺産に登録された知床の場合も、加藤さんの「知床旅情」以来の根強い人気を博している反面、知床五湖周辺の交通渋滞、駐車場の満杯、地元宿泊施設の満室などオーバーユース現象が顕在化、頻繁に訪れる観光客による散策路の荒廃や植物の踏み荒らしも心配されています。

 

それに、世界遺産地各地で、心ない訪問客による、ごみやタバコのポイ捨て、立小便、民家の覗き見、樹木などへの落書きなどのいたずらが頻発しています。

 

富士山を取り巻く環境は、地域開発が進むと同時にゴミやし尿などによる環境汚染、植生維持の困難、悪質なオフロード車やオフロードバイクなどの問題が深刻化していました。 

現場を見れば、果たして世界遺産として恒久的に保存管理していける体制にあるのかといった疑問が残ったのも事実です。

こうした事実認識から、環境省などの国の機関、そして、静岡県、山梨県の関係自治体も富士山を取り巻く環境の保全化に向けて、前向きに取組んでこられました。

 

 なかでも、1998年に山梨県と静岡県が共同で制定した「富士山憲章」は、私たちが守るべき行動規範として、大変わかりやすく、他の世界遺産地などでも通用する精神、モラル、心構えが定められています。 

 

 現に、富士山の「世界遺産登録前効果」として、富士山を取り巻く環境は改善しています。「富士山を守る指標」も、平成12年度、6年前の策定時評価の49から、現況評価の68へと向上していることからもわかります。

 

 世界遺産の保存と活用、これは永遠のテーマですが、世界遺産条約の理念を今一度再確認し、開発や観光を担当する行政関係者や事業者への世界遺産教育、監視活動の強化、モラルルールの遵守など、世界遺産地として恥ずかしくない誇れる地域づくりが求められています。

 

 世界遺産リストに登録されることのメリットとデメリット、これらは、住民、行政、企業など立場によってことなります。最大のメリットは、守っていくことの大切さと保全意識が高まる意識効果があげられ、結果的に良いものが更に良くなる好循環となって、地域全体の資産価値も高まるといった構図が描かれます。この様な万人への意識改革がモラルの高い地域風土を形成し文字通りのあるべき聖域、人類の至宝として保存されていくのだと思います。

 

2009年3月に「富士山静岡空港」が開港します。この頃までに、富士山の世界遺産登録の実現をめざす場合、時間は余り残されていません。

 

21世紀初頭のナショナル・プロジェクトの一つとして位置づけ、国がリーダーシップを発揮し、美しい国日本のシンボルである富士山の世界遺産登録の実現をめざしたいものです。

 

 21世紀の日本にとって、また、日本人にとって、富士山が抱える課題や困難を克服していくことのプロセスは、わが国の誇れる国土づくり、そして、日本人の意識や心の改革にもつながることだと思います。

 

21世紀は「環境の世紀」ともいわれますが、富士山は、私達に、これらの問題を解決していく為の課題を投げかけているのかもしれません。

 

 日本、そして、日本人の精神性を知る富士山は、過去から現在、そして、未来へと私ども人類、そして、人間の活動を見守り続ける地球と人類の歴史の生き証人でもあります。

 

 富士山と人との関わり、これも多様ですが、日本人の一人として外国人と接する場合においても、日本人の美意識として誇れるものの身近な存在の一つであり、内外を問わず、富士山、Mt.FujiFujiyamaの愛好者が多いのにも、大変、驚かされます。

 

 富士山が抱える課題や困難を克服し、名実共に内外に誇れる世界の遺産にしていく道、これこそが、われわれ日本人が真の地球市民になれる道筋であるかもしれません。

 

 「美しい国」のシンボルは日本の遺産の代表格である富士山です。富士山の「顕著な普遍的価値」を世界へアピールしていくことが重要です。また、富士山を取り巻く文化的景観とは、富士山と共存、共生してこられた地元静岡県や山梨県の皆さんの日々の生活や生業、すなわち、みなさんの生き様が評価されることにもつながります。世界文化遺産に向けて、世界遺産地にふさわしい魅力ある地域づくりを進めて頂きたいと思います。美しい富士山を未来の子どもたちに受け継いでまいりましょう。

 ご清聴、有り難うございました。
















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